やっとMacでアクセスできました。
後はネット関係中心のリカバリーが始まりますが、あまりモニタに向かえない体調のため、いまだはてなに甘えてます。OSは上げればいいというものではない、ということを再実感。
マイスリーで頭が痛い毎日です。ここで不良クランケっぷりを発揮しなくてもいいのにしてしまい、マイスリーはこの後、2度と口にも胃にも頭にも入らずゴミ箱へ行くでしょう。再開してから32条がないと1錠数百円すると友達から聞いて吹っ飛んだレルパックスが、まるで原稿用紙の上の消しゴムカスのように飛んでいきます。唯一飲めるこの鎮痛剤も馴れてしまうと2錠に増えるので、いただけません。
いったい何を思い立ったのか、清水玲子著《輝夜姫》をほぼ一気読破後、その前作にあたり、同じく月がモチーフとなっている《月の子》の文庫を…と本棚までよたよた歩き、手に取ってしまったのは南条あや。こんなに何も食べられなくて落ち込んでいるときに読む本ではないだろう…という思考が及んだのは、あやちゃんの経歴や写真をざっと見てしまったあとで、時すでに遅し、でした。この本を買うきっかけは、いくつかの接点と、何より「おまえに似てる」と、テレビに出た彼女を見た友達に言われたことでしょう。
わたしはこんなに可愛くも若くもありませんが。

卒業式まで死にません―女子高生南条あやの日記

卒業式まで死にません―女子高生南条あやの日記

かつて彼女が生きているとき、わたしは日記に目を通すチャンスがありました。なぜなら、彼女は日記猿人(現在の日記才人)の登録者でしたから、キーワードやら更新記録やらを確認していると、彼女の日記へ自動的にたどり着く仕組になっていたりしました。しかしながら、わたしが読んだのは、彼女の最後の日記でした。あやちゃんを死後知った人から「リアルタイムで読めるなんてうらやましい」と言われたことがありましたが、何がそんなに「うらやましい」のか、わたしにはさっぱり理解できません。
ただ、32条・睡眠薬精神安定剤抗不安剤などのキーワードから、一部の人々が「南条あや」を思い浮かべるのも事実で、リストカットはすべて未遂に終わり、こうやってたらたら生きているわたしも、ときどき人々が勝手に作り上げた『精神的な病気のひと』にされてしまうことも、しょっちゅうあります。それがもとで起きたトラブルもありましたので、セキュリティのない掲示板や、自分で管理できない掲示板などが一時期とてつもなく恐ろしくなったことがあります(その後いろんな規則によってログが一部公開されることになりましたが、わたしはいまだにその掲示板へ踏み込むことを躊躇しています)
同じように、聴覚障害者も「尾瀬羽あれく」というひとりによって勝手に構築された虚像めいたものがあるのではないかと、ひしひしとメディアに関する発言への責任の重たさを感じたりもするわけですが、自分は自分で他人は他人なので、どうしてそういう十把一からげをやってしまうかな? とも、頭をかかえております。「闘病記」と銘打つからにはわたしは自分の病気を隠すことは厭いません。けれど、わたしはあくまでも『病気を背負う人間のひとり』であって、「聴覚障害者とはこういうものだ」という人間ではありません。それに対する無理解が、偏見や差別を生むのでしょうけれど。
世の中にはきっと、わたしが知るよりずっと残酷な差別や偏見もあるのだろうけど、それを知らずとも知ってもなお、そこへ飛び込んでいくのが、わたしです。できればそんなものからは、目を逸らしてしまいたい。触れずに生きてゆきたい。けれどわたしがわたしである限り、それはどだい無理なことなのです。
精神的な病気になったことも、聞こえなくなったことも、いつか母に泣いて謝られたものですが、わたしはナースである母が「理由はわかっているはずなのに」「どうして謝罪するのか」理解できませんでした。母は待っていたのでしょうか――わたしが何かを告げるのを。
たとえそれが罵声でも。
まだ幼い妹を護るためなら、わたしは追い出されてもしょうがありません。事実、わたしが成人するまでは互いに隔離状態のようなものでしたから、おそらくそのことも謝りたかったのかも、しれません。
「いまさらそんなこと言うなら、あのときつれていってほしかった」
携帯日記に残したそのひとことが、父の暴力から逃げるすべを知らなかった、わたしの本音であったのかもしれません。ただ、母に引き取られてもわたしは問題を起こしたかもしれないので、そこは、おあいこです(苦笑)
ああ、いい加減メンタルヘルスから離れた日記を目指しているのに。