夕方頃、父と買い物。お箸がくたびれてきたのと、スリッパも使用不能になったのと、お茶碗が真っ二つに割れたこともあって、いつもなら食料品売り場に直行するのが、家庭用品売り場でうろうろ。こないだまで在ったプーさんのセールワゴンがなくなっているので、うなだれて縞模様のスリッパにする。「プーさんやキティちゃんがない」と言ってうなだれるあたり、果たしてわたしは何歳なのか? と疑問に思うことしばしば。ミッフィーのハンドタオルやらキティちゃんのテーブルクロスに心奪われて売り場を動かない事態に陥り、チャットからわたしを知った友達がこんなん読んだら、もれなく宇宙へH2Aロケットのように飛んでいくだろう。衛星軌道上で待機するどころか、そのままボイジャー2号よろしく太陽系の外まで飛んでいくかもしれない。
買い物中に動悸がしてふらふらになったので、何とか車まで気力で戻ってデパス服用。最近飲まなくてもよかったデパスを飲む頻度が上がってきたのを、やや残念に思う。拒食症は自覚がないのが問題というが、点滴で1ヶ月くらい過ごしてて血管つぶれて――と、さらっと言ってしまい、そこでさらに問題になる。やっぱりわたしは、本当に拒食症なんだな…とはいえ、どれほど深刻に受け止めれば問題でないのかもわからず、とりあえず、少しずつではあるけれど回復に向かいつつある自分の身を幸いに感じながらも、再発の危険を告げていた元主治医の顔を思い出してしまった。
そして、自分で決めたことであるのに「薬で治るような病気ではありませんから、原因を突き止めて治療したいので、ご助力願います」と主治医に話した自分のバカ(頑固)さ加減にあきれるやら、ため息つきたいやら…
かつて同じ病気になったとき、わたしは自分そのものも自分を取り巻く環境も受け入れられなかったし、何より絶望していた。いつ治るかわからない。どうすれば治るかわからない。なぜこうなってしまったのか、わからない。回復に向かいつつある時期に離れた場所から自分を見つめつづけて、成熟を拒否していたのだと今では思う。だとしたら、今度の原因は何なのだろう。やはりわたしは、あのときと同じように、自分を離れた場所から見つめて、その理由が判明するまで一歩も動けなくなるのだろう。
今年に入ってやっと拒食症と不安神経症の再発がわかって、入院と手術をすでに控えていたものの、食べられないのではもう少し体調を観察したほうがいいのかもしれない(退院できても寝たきりになって通院が途切れたり、最悪の場合転院治療となる)と、術式のCT検査のみにとどまった。頻繁な通院が必要なくなるまで、副作用覚悟でドグマチールを使って無理矢理食欲を引きずり出してやろうか、なんて企んでみても、それでは根本的な解決にはならず、いずれ再発する。
19のときも、もしかしたら単に薬物療法でしばらくおさまっていただけかもしれず、未だにわたしは内なるこどもをかかえて右往左往するしかない。カリエスのときはあんなにも耐えたのに、なんてザマだろう。
それとも、覚悟していたはずの聴覚の変化がショックだったのか。次の手術を受ければ、またわたしの聴覚には少なからず変化が訪れる。ふたたび「今度こそ駄目になるかもしれない」と言われるのがたまらなく恐くて、立ち尽くしているのだろうか。だが、カリエスが再発する前に、前年の春頃から体調を崩しがちになったのが判明した。
カリエスをやってから再発を告げられるまで、いろんなことがありすぎた。医者を変えたこと、大学を辞めたこと、聴覚が変わったこと、妹のこと、家族のこと、自分自身のこと。家族のことは昔にくらべればずっといい方向に変わってきているし、これからいい関係になることは、いくらでもできる。何より途絶えていた母方の親戚との交流も再開し、わたしにはまた従姉妹が増えた。
わたしの最大の悩みがあるとするなら、賢き娘で、姉であれないことだろう。
この日、ひとつの約束をした。「たとえ理想に遠くても、好きな自分に近付くことはできるから、あきらめない」と。