今日は通院日。
重たげなからだを引きずって、クリニックへ行く。耳鳴りはまだ続いており、決して調子は良くない。それでも行かねば、薬が切れてしまう。面倒だ。14日分にしてもらえば良いのに、わざわざ調子を診てもらうために、わたしは自分の意思で1週間分を選んでいる。

診察室には、待たずに入ることができた。どうやらこの曜日のその時間は、案外空いているものらしい。
話していて「落ち着いてきましたよね」と主治医に言われる。「(精神的に)落ちて来たの間違いじゃないんですか?」と訊き返すと、クスクス笑われた。事実、わたしは祖父が退院してから眠りが浅いし、具合のよろしくない日々もある。祖父が入院しているあいだは、祖父のことがとにかく気がかりで、自分の具合どころではなかった。リタリンを飲んで見舞いに出かけたことまである。
祖父が退院して、わたしはガックリと来てしまった。何が1番ガックリしたかというと、あの売店の《宝塚ホテル》のパンを食べるチャンスがなくなってしまったことだろうか…いやいやそんなことはない。祖父が元気過ぎて、退院当日に「医師から禁止されている」はずの自転車に乗って、買い物へ行ったり、我が家の庭の草刈りをしてしまったり…

意思の疎通が出来ていないのは家系だと思った。

今回の診察では、エビリファイの朝の量が多いかもしれない、ということで、エビリファイが毎食後に変更になった。何でも、エビリファイは量が多過ぎると眠気を催してしまい、眠ってしまう人がいるのだとか。そして、わたしときたら寝付きが悪く寝起きも悪いため、朝せっかく起きても、エビリファイを6ミリ飲んで寝てしまう…というわけだ。
かと言って、これ以上薬を増やして寝かすわけにもいかないため、エビリファイを調節して、夜に眠気が来るように仕向けたのだが……果たして眠られるかどうかは、今夜飲んでみないとわからない。
ときどき、厭なことを考えてしまい、心臓が動悸をうったりする不安発作は毎日のように出るが、そういうときはできるだけ、他のことを考えるようにするか、考えないようにするかしている。考えても厭なことはいくらだってあるし、ないときはないものだ。それなら、開き直ってしまったほうが勝ちというものなのかも知れない。不安なことは、たくさんある。将来への不安がないといえば嘘だし、そんなものは誰もが持っている。ただ、わたしのことはあることないこと憶測しすぎて、不安が膨れ上がってしまうだけなのだ。
主治医は「具合が良くなってきている」と言ってくれた。「どういうところが良くなってきたのか、自覚がない」と言うと「理屈っぽくなくなった」……先生、それは「良い兆候」なのでしょうか?(言われてもやっぱりわからなかったけど、主治医が良いと言うなら良いのでしょう)