梅を見に行く。
去年は梅を見に行っていなかった気がする。梅と桜といえば、わたしのなかで大きな位置を占めている季節の花だ。梅を見ていないということは、「それどころではなかった」のだろう。去年の今頃、わたしは自分が何をしていたのか、日記を読まなくてはもう思い出せない。思い出したくないのだろうし、過ぎた冬を思い出してどうするというのだろうか。



梅は揖保まで出て見た。そこに梅の名所があるからとか何とかで、朝早くから父親に連行される。
確かに綺麗だった。写真を撮りまくり、山の上から海を眺めてぼんやりとする。梅の香りがただようなかで、菜の花も負けじと黄色い花を咲かせていて、精いっぱい今を生きている植物に、思わず笑みがこぼれそうになる。


実際は「能面のような」「お経となえてるみたいな」無表情をしているらしいのだが(デパケンのせいでほとんど表情が動かない)
中国物産展で、何故か浄化用の小さな水晶を見つけたので買う。…買ったなり、右肩がだんだん重たくなってきたのは、絶対気のせいだと思いたい。そして、中華風の見晴し台で、ぼんやりと海を眺めていた。空気がきれいだったなら、もっとたくさんの島が見えたはずだが、あいにくとここまで来ても、空気はあまりきれいではないので、水平線は白くかすんで、島々とともに消えていた。




メイラックスのせいか、ふらふらする。車から降りれば平気なのに、車が走っているとふらふらしてきて気分が悪くなってくる。乗り物酔いだ。トラベルミンが切れたのが早かったのか、メイラックスのせいなのかはわからないが、また薬を追加して事なきを得る。それにしても妙なのは、買い物など短い距離であり知っている道なら特に何ともないのに、神戸を出たとたんに乗り物酔いの兆候が出始めたことだ。
何か、わたしは不安をかかえているのだろうか。
それとも、うつがひどくなっただけ(自律神経もおかしくなる)なのか。
よくわからないが、できればメイラックスは飲みたくない。レキソタンのほうが体に合う気がするから。



そして今、わたしはPCの前に座って、この文章を書いているが、ひどく書き間違えて書き直したりして、タイプミスも以前と比べるとずっと増えたし、文章がすらすらと出てこない。祖父が入院して(そのせいにするのではないが)、もう長居あいだ日記をきちんと書いていない。
日記帳も、この《はてなダイアリー》も。取り敢えず何とか、要領を得ない短文であれど続いているのは、携帯版とミク日記ぐらいだ。このふたつは単に「休みたくない根性」だけで続けている節が大きい。
少し時間をおいて読むと、他人が書いたもののようにしか感じられない。


少し休んだら、梅の写真を取り込んで加工しようかと思う。
それにしても、耳鳴りがうるさい。