金曜日にチューブを入れた右耳が、駄目になったのを感じた。
明瞭に聴こえていたはずの音が、まるで分厚いカーテンの向こうにあるかのようにしか感じられなくなる。麻酔をかけても、痛いものは痛い。痛い思いまでして、わたしは何をしているんだろう、と思う。

金曜日の診察では、チューブはとっくに外れていて、鼓膜の穴ももう塞がってしまっているとのことだったが、それにしても「聴こえなくなったのは先週のあたまだと言うけども、このチューブの外れかたと鼓膜の状態から見て、数ヶ月前、少なくとも2ヶ月前には外れていたと思われる」という主治医の言葉には、思わず「はい?」と語尾を上げて返事してしまった。
祖父が入院して退院するまで、わたしはちゃんと聴こえていたのだ。そして、祖父が退院したのは、ついこの前のことだ。主治医の言うことをまず「当たってる」としたら、わたしは祖父の病が発覚するまでにチューブの脱落に気づかなかった、いや、手術までしたのに気づかなかったことになる。
それにしても、妙なことだ。もっともわたしのことだから、根性で聴こえていた…といってもおかしくはないのだろうが…医学的に説明できないし、実際、変である。

祖父が退院して数日が経過し、わたしは突然聴覚が落ちた。去年9月から順調だったチューブがいよいよ外れてしまったのだな…と、軽い失望のようなものを自分に対して感じた。とはいえ、チューブは入れても自然脱落するようになっているので、失望するという表現は似つかわしくないのだろうけども。
ところが、主治医とわたしの計算に「こいつは俺の子供じゃない!!」というようなズレが生じた。「どう見ても数ヶ月前」と「先週」では、間があきすぎている。
計算しても誤差がどうしても生じるし、わたしは数字にことさら弱いので、また奇跡でも起こしたのかとでも思っておくことにする。

今回の切開で、炎症は確認されなかった。左耳とほぼ同じような鼓膜だったというから、中耳炎は治ってきていて、そろそろ補聴器を考える時期にきている、ということなのだろうか。何年か前から補聴器の話は出ていたので、父も別に反対しないだろうし、補聴器ぶんのお金は市から支給される。…ゼロがいくつ並ぶんだろうな……(わたしの難聴は普通の難聴と違い、ジグザグのラインを出すので、コンピュータ内蔵型にしようという話が持ち上がったことまであったのだ/カリエスのオペ後当時)

考えなきゃいけないけど、考えたくないゼロだ。
そんなに欲しくないが、ポイントで携帯電話を買うと、わたしはどの携帯に出ればいいかわからなくなるぐらい、買えるような価格である。しかもワンセグ
腰にぶらさげた自腹の万歩計が、おもちゃに見えた。