毎年この日になると、頭から離れない歌(詩)がある。
栗原貞子さんという方の《生ましめんかな》である。
ヒロシマピースサイトより引用)


生ましめんかな -原子爆彈秘話-

こはれたビルデングの地下室の夜であつた。
原子爆彈の負傷者達は
暗いローソク一本ない地下室を埋めていつぱいだつた。
生ぐさい血の匂ひ、死臭、汗くさい人いきれ、うめき声。
その中から不思議な声が聞こえて來た。
「赤ん坊が生れる」と云ふのだ。
この地獄の底のやうな地下室で、
今、若い女が産氣づいてゐるのだ。
マッチ一本ない暗がりの中でどうしたらいゝのだらう。
人々は自分の痛みを忘れて氣づかつた。
と「私が産婆です。私が生ませませう」と言つたのは、
さつきまでうめいてゐた重傷者だ。
かくて暗がりの地獄の底で新しい生命は生れた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまゝ死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな。己が命捨つとも。


現在では、既に仮名遣いが変わってしまってるが、わたしはどうしても、こちらの仮名遣いのほうが、人のいのちの息づかいを感じさせる気がする。
先日読んだ《はだしのゲン》にも同じような描写があり、原爆のショックで 主人公の母親が産気づいてしまう。父も姉も弟も失い、頼れる母は赤ん坊が生まれそうだと言う。おろおろしている主人公(元)に「あんたがとりあげるのよ!! お兄ちゃん、しっかりし!!」と、必要なものを手配させるのは、母ならではの強さであろうか。赤ん坊は可愛らしい女の子であったが、放射能の影響を受けてか、たった2歳の命を散らした。また、作者の方も同じような経験をしており、原爆のショックか母親が産気づき、4ヶ月しか生きられなかった赤子を失っている。

わたしは、原爆のことはそれなりに知っていると思っていた。ABCCのことも、その資料も知っていたし、その後アメリカが何度もおこなった核実験の実験台にされた米軍にいた人の話も、被爆者差別のことも知っていた。けれど、わたしが唯一知らないのは、被爆直後の広島だ…
生まれてもいないのだから、無理もない。
しかし《はだしのゲン》は、わたしの年齢でもインパクトが強い。つまり作者は、あの一筆一筆に、「これでもか」という思いを叩き付けるようにして描いたのだ…

忘れてはいけないと、1日に何度も分厚い廉価版を読み返した。

どうしてもこの日には、空に照る太陽を見上げてしまう。
こんな日に、人類最大の悲劇がおきたのだと。