精神科で「これこれこのような症状が出て、わたし自身も、親しい人も気にしているので、一度脳の検査を受けたい」と申し出る。
どのような症状かというと、忘れたり、勘違いして覚えたり、落ち着きがなく、たとえば、Aの用事をしていると、Bの用事ができて、Bのほうが重要で早くしなくてはならないのに、わたしはBの用事に気付かずにAでもたもたしている。Bに気付くのは大体他人からの指摘を受けたりするときで、Bは早くすませねばならないのに、Cの用事を見つけてはそちらへ移ってしまう。それだけならまだしも、D、E…と、どんどん枝分かれしていってしまい、結局何も最後までできないため、頭の中も目の前もぐちゃぐちゃになってしまう、というようなことだ。
まるで多動症だ。
紹介状を先生が書いているあいだも落ち着かず、部屋をとりまく本棚を眺めたり、先生が紹介文を書くために出して来た書物をも覗き込む始末で(わたしに読ませてくれたが、いつも必要なので貸してもらうことはできない)、「どうして検査を受けたいか、病歴を話してもらえるかな?」と訊かれたとき、「…メモに書いて良いですか?」と言う始末だった。口から説明するとぐちゃぐちゃになってしまうため、7歳の春に脳を損傷した可能性があることから書き始めた。書いているあいだは無言だが、書き終えると「待っていました」とばかりにどんどん話し出す。手術のこと、両親の離婚のこと、虐待のこと、震災と拒食のことは忘れてしまったが、言い忘れただけで、わたしの心には一生消えない哀しみを残している。
先生は細かい字で張りつくようにして書いていたが、あれは癖なの? とナースさんに尋ねると「ううん。あれは、あれくちゃんが色々ありすぎる子やったから、細かく書かなあかんかったんよ」
どうもわたしは、色々ありすぎる人らしい。

紹介状にどういう病名が書かれたかは中身を全く読めないのでわからないが、人格に問題があることだけはハッキリしている。気分は鬱と軽い躁病を繰り返して、睡眠を拒否したり、不眠になったりするそうだ。その他にも当てはまる部分はあったが、たくさんありすぎて忘れてしまった。落ち着いてひとつのことができなかったり、集中力にかなりのむらがある、ようなことが書かれていた。
「うっわ、全部当てはまるじゃん」
しかも子供の頃から…わたしは既に発病していたのだった。小学校の3年のとき、睡眠を拒否して書物に張りついていたこともある。案の定、わたしは翌日、居眠りをした。
授業でノートを取った記憶が、全学年にわたって一度もない。何故、わたしはノートを取らなかったのだろうか?


どうして気づいてくれなかったのだ、と泣きわめいてももう遅い。
病気で壊れた人間関係も、元には戻らない。
もしも両親がうまくいっていたならば、わたしはその病気に気づいてもらえたのだろうか? と思いもしたが、全ては何もかも過ぎ去ったことでしかない…
大切なのは過去ではなく、過去によって導かれてきた現在であり、現在からレールを敷いていく未来だ。今、自分の身をどう振るかによって、わたしは明日、明後日と、どんどん姿を変えていく月のようなものだ。


さあ、歩き出せ。
光の射す海に向かって。