婦人科にて定例月イチのカウンセリング。
先生とも1年以上のつきあいになる。先生はちょこちょこわたしの駄文を読んで下さる、優しい同年代の女性>つまり同学年。知ったときは口がぱかーんと開いた


今日はほとんど家族についての話題となる。わたしの家庭に明るい話題はあまりない。虐待、家庭崩壊、離婚、リスカ、拒食と過食のくり返し…いけないことだとわかってはいても、不安定になるとリスカをしてしまう。血を見ると安心するのだ。ほっとして終わることもあれば、ひとつだけでは傷が足りず、ふたつバツ印のようにクロスさせてつけることもある。その傷口は全部先生に見せてしまったが、浅いので何も残らないだろう。よほど日焼けでもしない限りには。
エレベーターに乗る前、わたしは先生に何を言いたかったのだろうか? 急いでコンビニで購入したオルファカッターで一文字に切り、肌に血がにじみ出し、やはり急いでコンビニで買ってきた絆創膏にも染み着いたのを確認して、とても安心する。何が言いたかったのか。この傷をつけたかっただけなのか。血を見て欲しかったのか。切った後のことは、何もわからなくなっている。ただ、何かを成し遂げた爽快感だけが残る。

ここから先は、読まないほうが良い人も居ると思う。
12歳の秋、わたしの両親は離婚した。12という年齢は現在の精神科の主治医が割り出したもので、わたしは思い出せない。5年生か6年生かどちらかとしか言えないが、5年生の夏は入院していたけど、揃ってお見舞いに来てくれたから、6年生なんだろう。
直接の原因は、母親の浮気だ。遠因はわからないが、母親は暴力を振るう父親に耐えられなくなっていたようだ。だったらどうしてわたしを連れて行ってくれなかったのか。母が出ていった後、暴力の矛先はわたしと愛犬に向いた。失敗したといってはわたしを殴り、粗相をしたといっては愛犬を殴る。躾の範囲を超えていた。わたしの鼓膜は殴打によって回復することはなく、25歳でようやく治療の甲斐あって再生している。これをとある人に話すと、「じゃあ、君の耳の病気はおとうさんの虐待のせいじゃん!!」と怒っていた。…怒ってくれる人がいるんだ。わたしが殴られて蹴られていたことは…正しくなかったんだ……「おまえのために殴ってるんや。おまえがええ子にせんから悪いんや」…この言葉を投げつけられて、わたしは今まで生きてきた。
そしてこの回のカウンセリングは、そういったやりとりもあって、家庭のこととなる。幾度話してきたかわからないが、わたしは母親を「きたない」と言った。あんたが男と酒飲んでセックスしてるとき、わたしは水をぶっかけられたり殴られたり蹴られたりしてきたんだ。あんたが男のことを名前に「ちゃん」付けで呼ぶのを聞くと反吐が出そうだ!! そして、わたしが血を流して涙も流してるときが、奔放なセックスで妹を妊娠したとき。病気なんだから中絶すれば良かったのに。そんな子供。わたしは祝福できない。したくない。このガキがわたしを放置した快楽の果てに出来た子供かと思うと、ふつふつと憎しみがこみ上げてくる。あんたが愛されていた時間、わたしは殴られて愛も知らなかった!!
だけど知っている。
誰にも、誰かに与えられた愛を奪う権利も資格もないことを。

「どうして自分がセックスするのか、わからないときがあります」
わたしにはお付き合いした男性がいたし、いわゆる大人の関係も持った。けれど、どんなに体が反応していても、突然ふっと頭が冷静になって、「わたし、何しているんだろう。どうして、こんなことしているんだろう。気持ち悪い…」と、天井をぼんやりと見つめてしまう。何年もお付き合いした人が相手でもそれは変わらなくて、わたしのセックスはいつも途中で覚めてしまい、そしてまた熱くなる。何も考えたくない。淫らに悶える女が声をあげている。
………あれは、わたし…?
気づくと「天井を見つめている」のではなく、「何処かから冷たく自分を見つめて」いた。
「何をしてるの?」
「気持ちのいいこと」
「嘘つき。気持ち悪いくせに、きたない」
女の子が、上からわたしを見ているよ…「きたないね…」って。こんなに、こんなにあなたを愛しているのに。愛することは悪いことじゃないのに。素晴らしいことなのに。愛をもって結ばれるのは素敵なことなのに…わかっているのに…「きたないよ」…

「そんな環境でも自分らしさを失わなかったのは、あなたの強さですよ」
そうかなあ、先生?
「前から少し、脳で気になることがあるんですが、検査を受けることを先生はどう思われますか?」
人に訊ねるのはこれで3人目。1人はメンヘルマブダチ。1人はネット母で、この人が一番「あれくちゃんは何か変だな」と気づいてくれた人である。
尾瀬羽さんの幼少時の頃や、虐待を受けていたことを考えると、前頭前野に何か影響が出ている可能性が強いです。フラッシュバックで海馬も小さくなってしまっているかもしれない。虐待を受けて育ったり、いわゆるキレる子供とか、ADHDの人は、脳の前の部分が変化していることがありますから、検査したほうがわたしは良いと思います」
先生の説明が、検査への決定打となった。



当面、リスカは続くだろう。寝る前に安心したくて、デパスを飲んで切ることもある。出かける前にお守りにしたいのか、カッターナイフと絆創膏は常に持ち歩いている。友達はみんな「化膿して危険だ」「破傷風になると怖いよ」と注意したり叱ったりしてくれるが…止まらない。
止められない。それが、わたしの弱さだ。

さあ、明日はクリニックで脳の検査の紹介状を書いてもらおう。話も聞いてもらおう。
そして検査を受けよう。怖がっていても、何も始まらない。
何もわからないのが、わたしは一番厭なのだ。