朝から何もする気になれない1日だった。いつもなら豆乳とかミネラルウォーターを飲んで始まる朝であるはずなのに、それがだるくてたまらない。体がだるいのか、心がだるいのか。それとも両方か。果たして後者であったわたしは、Macの電源を入れてみたがボンヤリとしてしまい、豆乳をコップに注いではうつろな眼差しを宙に泳がせるのみ。
学友からメールが入るも、よく頭がまわらない。彼女のメールは「猫がこんなこんなだけど病気じゃないかしら?」…だった。彼女の猫はまだ赤ちゃん。保護した頃なら離乳食だが、おとな猫用のご飯はちょっと無理だろう(猫も犬も1歳になるまでは、子供用の栄養価の高いフードが適しているのだ)

ファイナルファンタジー12の画面を見つめてみたりして。
駄目だ、力が入らない…




リスミーがあるはずだが、見当たらないのでブロバリンを飲む。このまま海へ行ってしまおうか、と服を着替えて髪の毛をまとめるが、そんな気力ももうそげた。まだ昼間なのにまたもう1袋分のブロバリンを飲む。普通なら意識が飛ぶはずの量であっても、わたしの脳は妙にクリアだ。
体も心もずんずん重たくなってきて、昼を食べて耐えられずに横になる。ベッドの上でわたしが得たのは、夢もみないほどの深い深い睡眠。少し長い昼寝。


昼寝から覚めると(わたしは昨晩、4時間しか寝ていない)、銀行へ行った父が帰ってきている。「おかえり」と言うと、父はいきなり「駅前のショッピングモールに行きたい」と言い出した。「何でまた」と訊き返すと「おむすびが食べたい」……この人が食べたいおむすびなんて、あのお店のモノしかないわけで…ブロバリンが全然残らなかったわたしは、さっさとジーンズをはいて、シャツを羽織ってサンダルを足にひっかけた。



まあこんな感じで。おむすび。


頭の中には、Coccoの《焼け野が原》があふれている。
鼓膜にチューブを入れて、外界の音が聞こえても、わたしの頭の中には少しも入ってはこない。歩いている自分を、何処か遠くから眺めているような、奇妙な感覚だ。まるでわたしが、そこの空気にそのまま溶けていってしまいそうな――離人

家に帰り着いて、お惣菜とおむすびの夕食を父とともに食べる。
…やっぱり、誰か他人が食べているような感じだ。この感覚は、しばらく残るだろう。