先月のカウンセリングは気力がなかったので、さぼってしまった。さぼったといっても連絡を入れて、1ヶ月先に延ばしてもらったような感じだ。先生はブログを閉鎖しちゃった(休んでただけ…)と思っていたそうで、顔を見られて嬉しかったと言ってくれた。ちなみに、先生に一番ウケたネタは《ポーション》。実は、文芸部ではそんなノリで書いていた。
けれど、ブログとエッセイは、やはりおのずから方向が違ってきてしまう。わたしが「こうなりたいなぁ、こんな毎日同じような字数でまとめて、爽やかにぶった切って、それでもって人を笑わせてしまえるような部分も書ける人になりたい!!」と思っているブログを書いていらっしゃる方もいる>江草乗さんで検索すると出てきます。




この日話したのは、日本語文章技能検定の試験のこと、そして家族のこと。わたしの家庭は少し複雑で、父親の違う妹がひとりいる。わたしと同じように、原因は違うけれど、不登校の経験者だ。家族と呼ぶには遠すぎる? 人も入れると、小さい頃から会っていない母方の祖父や、今も元気にすっ飛ばしている祖母、会うこともかなわなかった父方の祖母、ときどきわたしのヘタクソな料理を「美味しい」と食べてくれる、近所に住む祖父。そして、母のきょうだい。父のきょうだいについては、今も詳しく知らない。
この中で最も強烈なのは、母方の祖母だ。わたしが知っているだけのエピソードでも、先生は体を折り曲げて大笑いを止められなかった。「可愛いおばあちゃん」と先生は言うけれど、そんな祖母の血を強く引いてしまったわたしは…どうなってしまうのだろうか…?
わたしは、驚くほど両親に似ていない。入院中に同室のおばあちゃんに「あんた、目から上がお父さんにそっくりやねぇ!!」と言われてしまい、頭髪の薄くなった父を思わず見つめ、くくっとか言って泣きたくなった過去を持つ(笑)。これでわたしが男だったら、くくっとかでは済まなかっただろうが、このおばあちゃんに悪気は全くない。せめて「目とか鼻のあたり」と言ってほしかったなあ…
しかし、父に言わせると、わたしの顔のパーツは母に似ているそうだ。妹の父親(どう書いていいものかわからないので、こんな突き放した書き方しかできない)には「色白で低めの声と猫舌なのがそっくりだ」と評されたが、猫舌は顔のパーツに入らないと思う。そしてわたしはものすごい童顔で、母の顔の輪郭は鋭角的な部類に入り、童顔ではない。
顔が似ていないので、昔、おとなげなかった両親に「あんたは昆陽池で白鳥と浮いているのを拾ってきたのだ」という「橋の下で拾ったのだ」よりは独創的な意地悪を謂れ、わーわー泣いた挙げ句に、子供の横隔膜の弱さで吐いたというトラウマを持つわたしは、「本当にあの親の子供なのか」という不安にかられ、血液型を何度も調べてもらったことがある。血液型は日本人にありがちなA型なので、これだけでは本当に拾ってこられたのか、そうでないのかハッキリさせることはできなかった。

そこで、母の妹にあたる『ねえちゃん』が、祖母や『にいちゃん』や自分の話をしてくれて、やっと「わたしはあの人々の血を間違いなく引いている」と思えたのだったが、それは「一言多い」のと「かんしゃく持ち」なのと「童顔」………

別の意味で知らなきゃ良かったと思った>特にかんしゃく。祖母・母・わたし
かんしゃくなんてイヤー、治したい、迷惑かける、みっともないー、と精神科で「先生は人格や性格のプロではないのですかっ!?」と迫ったら「…遺伝しますしねえ…努力次第で抑えられはしますけど…」治りませんから、とキッパリ言われてその顔にも書かれていて「あああああー!!」と机に(主治医の)突っ伏してしまった。



わたしはカウンセラーの先生を「若い先生ですよ」と主治医に言われて選んだのだが、実は先生はわたしと同学年だということが新たに判明し、この日のカウンセリングは、たこ焼き、しろくま(九州のかき氷)、九州×関西が呼び合った偶然ともいえない必然のようなもので締めくくられた。

あー、楽しかった。月2だったら良いのになー。