あれから11年。
それでもこの日を迎えると、涙がとまらない。


「忘れないで」と人は言うけれど、あのような体験は、記憶をごっそり持っていかれない限り、忘れることは不可能だ。何度も震災の夢をみては、悲鳴をあげて飛び起きて、寝るのが怖いと焦点のあわない目から涙をこぼしながら訴えたこともある。闇が怖いと、普通の人なら昏倒するぐらいの量の睡眠薬を飲んで、真夜中に徘徊さえした。
それがすなわち、わたしの傷の深さであり、脆さでもあった。
震災から半年後、修繕が済んだ自宅に戻ったわたしは、独りで眠ることができなくなってしまっていて、しばらく父の横で電気をつけたまま寝ていた。独りで平気になってからも、数年は電気を消して眠ることができなかった。
「忘れちゃいけない」
そう言われるたびに、わたしは吐き気を催した。
「忘れられるはずのないものを、何故そんなふうに言うの」
…震災の風化を目の当たりにするまで、わたしはずっとそう叫んでいた。




そして、今、忘れられないと泣くわたしがここに居る。
自分が忘れられないから、世間から忘れ去られるのがあまりにも哀しいと泣くわたしが。
「それなら、忘れなければ良い。
 貴女が覚えていて伝えていけば良い」


無理に忘れようとしなくてもかまわない、
だから、ゆっくりでも未来に向かって歩いていこう。


11年目の冬に決意したこと。