中古でゲットした《カオス レギオン》にハマる。古いので、かなり安く手に入った。
シナリオは冲方丁。富士見ファンタジアから、同名の小説も出ている。

カオス レギオン(CHAOS LEGION)

カオス レギオン(CHAOS LEGION)


こうして、同じ作家が違うジャンルでした仕事というものを離れて見てみると、根底に共通したものが見つかると思うのは、わたしだけだろうか?
冲方氏の他の作品には《シュヴァリエ》、《ピルグリム・イェーガー》、そして《マルドゥック・スクランブル》があるが、それらの作品を思い浮かべるとき、どうしても「少女」という存在が浮かび上がってくるのだ。むろん、冲方氏が作品を書くにあたり考えたことや思ったことを体験談としてつづったもの(含あとがき)を読んでいるという、わたしの記憶も大きい。ついでに書くと、わたしが読んでいないのは《蒼穹のファフナー》、《カオス レギオン》…だって続きがどんどん出るから>そんなスピードではないかもしれないが、《ばいばい、アース》とかも
シュヴァリエ》の主人公は男だが、どうしてだか女(殺された姉の霊)に変身して、連続殺人犯を血祭りもとい正義の剣で貫くわけだが、この舞台における「正義」は、とてもわかりやすく書かれている。無抵抗の女の血液をインクとして抜き取る『詩人』を軒並みブッ殺して神の名のもとに成敗する――主人公の仕事はそういったものでは、少なくともないのだが、ヒーロー(これ=シュヴァリエ、女装ゴスロリヒロイン?)には、いつだって何かしらの悲劇がつきまとっている。
ルーン・バロット然り、アデール・ナハシード然り。
もっとも「何もないごくふつーの少女がごくふつーの暮らしをしていて、ごくふつーに生きて死んでいく」のでは「オハナシにならない」ので、みんな「話すにはばかられる」何かをしょっているのだが。
話したいけど、話せないこと。
でも、何かを使えば伝えられる、伝えたいこと。

わたしは、もやもやした憂鬱をかかえながら、今日も血飛沫を飛ばす。