DVDを購入した。今年の買い物は、これがきっと最後になるだろう>この価格以上の買い物をわたしがすることはない、という意味で
幾つも名前を持っている、奇妙な魔法使いハウル。おばあちゃんになってしまったソフィーがその意義を問うと「自由に生きるためさ」という、気楽な返事。「帽子を作るのと、掃除以外に取り柄がない」というソフィーは、ハウルのめちゃくちゃに散らかった汚い城(もはや廃屋)を綺麗にすることで、自分の存在を確かなものにしてみたが、今度はハウルがパンクな色になってしまった髪の毛を引っ張ってキーキー言っている。
「前は女の子にふられたときに」と、ハウルの闇に恐怖を抱く弟子・マルクル(どうしてこんな魔法使いの弟子になったんだろうか)だが、ソフィーは、
「かんしゃくで死んだ人はいないわ」
…ごもっともで。

かんしゃくで死ぬ人間はいない。
けれど、携帯電話が行方不明になったわたしは、ここのところの精神的な疲れもあり、みごと壁に穴をあけるほど暴れた。

かんしゃくで暴れまわる自分はみっともないし、頭がおかしいと思われてもしょうがない。喉から血の味がするまで奇声を発して喚いて、足を踏みならして拳で壁どころか、自分を殴ったり髪の毛をむしったり、頭をぶつけたりする。かんしゃくの部類をとうに超えてしまっている気がする。
暴れまわったらスッキリするというものではなく、自己嫌悪で吐き気がする。
何も『それ』がないと死ぬとか狂うとかいう死活問題ではなかろうに、わたしの頭からは「あとで」だの「他ので代用」だのいうアイディアは全面否決されて強制排除されて、とにかくパニックになる暴走状態の自我しか残っていない。
みっともないと理解していても、自分にそれを受け入れるだけのキャパシティーがないだけに、暴れて内側へ向けられるべき怒りを外に出すしかない未熟なわたし、そして、本来ならば外側に向けられるべき怒りを内側に取り込み、自分から傷つくわたし、このふたつが上手く入れ替えられたなら、わたしはもっと成長できるのだろうに、どこでどう配線を間違えてしまったのか、それがうまくいったためしはない。

遺伝もある。
けれどわたしは、このかんしゃくを何とかしてしまいたいのだ。
わたし自身と、周囲が納得するかたちで。