明るい気持ちではないけれど、少なくとも、前を向いていこうという気持ちには、なれる。単純だ。哀しいから泣くのか、寂しいから泣くのか、苦しいから泣くのか、よくわからない。それでも流れるのが涙というもので、わたしは久しく『嬉しいから泣いた』ことがない、と思った。
ただ、胸だけが痛い。

病状が劇的に良くなることはなく、一進一退だ。その証拠に、金曜日に痛かった右耳にまた液体が溜まりはじめているのが、感触で伝わってくる。明日には、もう音がだいぶ聞こえなくなっているだろう。わたしは、それを哀しいとは思わない。つらいとは感じているのかもしれない、その証拠にわたしは怒りっぽくなり、口数が極端に減る。
痛いといって泣くような元気は、もうない。
年末年始の休みに向けて、スケジュールを調整する。医者と、買い物、おせちの受け取り以外には、何もないような感じだ。それにオプションのような具合で、初詣だのが申し訳ばかりに、ついてくる。来年は、破魔矢を新しくすることが、そして、去年のものを返すことが、できるのだろうか…>少なくとも、わたしは神社までは「行ける」が「戻れない」



コープに「じゃがいもが傷んでると困るじゃん」と苦情を言うと「ご連絡くだされば、お取り替えにうかがいます。申し訳ございません」という返事があった。これが料理の最中に「取り替えろ」とか、業務時間外だったら困るんだろうなぁ。最初からこんなことはないのが良いのだが、口惜しいことにじゃがいもは、押しても引いても、切るまで中身がわからない。
ちょっと気分が良くなった(単純だ)ので、またじゃがいもを買う。
ついこの前、「最近じいちゃんに会わないから」と金曜日に祖父宅へ寄っていくと、祖父の持病に高血圧と高脂血症に、難聴が加わっていた。おかしなもので、白内障だと言われれば「年だからかな」とか思うのに、難聴だよと言われれば「年だもんね」とは思えない。聴こえないと、どうもそう思うものらしい。ああ、夏なら、夏ならまだじいちゃんは聞こえてたのだなあ、とボンヤリしながら、この具合なら手帳は何級なんだろうとか計算している自分がおぞましい。
「4級よりは上か」
祖父にもわたしにも、もう、インターフォンの音は、聴こえない。もともと市営住宅のものだから、音が小さいのだそうだが。
「ご飯どうしてるの?」
「自分で2合炊いてるんや」
…いや、おかずとか…(ワンテンポずれの家系?)…
台所が妙に綺麗なので、ときどき、肉じゃがとか持ってくると約束する。
「作れるんか?」
そういう問題でもないだろうに…

シチューにしようかな。
でも、今夜は鍋が余ったから、次に作るのは和風の煮物かも。
そもそも、じいちゃんが好きな食べ物って何だったんだろう?
ひどい孫である。今度はメモを片手に祖父宅を訪れよう。