「チャットだと、3割増しくらいおしゃべりになっている」
と言われて、思わずポカンとした。普段のわたしは、そんなに無口なのだろうか。それとも、チャットでのわたしが、おしゃべりなのだろうか?
よくわからない。
わからないが、チャットというものは確かに、わたしにとって「便利なもの」である。また、それは他の人にとっても「便利」であるだろうが、その「便利」は、わたしの「便利」とは、多少違っているものと思われる>人はみんな違っていて当たり前

人はそれぞれ違うもの。だから個性というものがある。
他人との差異をプラスにもマイナスにも認められないわたしは、「わたし」という個体を抹消することを望んでいた。そんな自殺願望のある人間の話をえんえん聞いていたら、聞かされている人間だって、壊れていってしまうだろう。
そしてわたしは、その人物の前後に壊れてしまうことを前提としているため、人をどれだけ疲れさせているか、そのことに全く気づかなかったし、そんな人間になってしまったと、気づきたくもなかった。


今夜も、チャット画面のなかで、文字が流れて揺れている。
そのなかに、席を外しているわたしの色はない。