関西プチオフ。
朝からバタバタと家を東西に走り回り、そんな広さでもないのに「あれがない、これがない、それじゃない」と騒ぐ。京都まで2時間の余裕をみて、その通りに消費する。司令塔なのか全く判別できないわたしの携帯に、あれこれメッセージが届く。「寝坊した」「出口どこだっけ」…なるほど、オフっていうのは3人以上でやると、こういうことになるのだなーとかしみじみ実感しながら、携帯を自在に操ってみる>携帯だけ
電車で京都に出るのは、何年ぶりだろうか。カリエスになってからは、「倒れちゃ困る」と、大阪や神戸より遠いところへは、車を使うことがほとんどだった。「何とかなるでしょ」と考えることが「どうしても」できなくて、それで結局関西で躊躇しているうちに、またカリエスが再発している。どのみち「再発もあると思ってほしい」状態では、あったのだ。わたしはそんな恐ろしいことはありえないと思いたかったし、「ありえない」と「言ってほしかった」けども、MRSAは、存分にわたしの骨を喰い散らかしてくれた。
実際のところは、オペが怖くて前に進めないという、情けない状態だ…
烏丸で人を待つ。待つあいだに、出口から人がわらわら出てきて、入口からわらわらと入っていく。「こんな顔してます」という写真は貰っているが、正直いって、わたしに人相の判別は期待しないほうがいいと思う。「どこかで見たなあ」とかテレビ観てほざいて「ノリカだっけ」と言って「あややだよ」と言われるような眼力である。
地下鉄ともクロスしているここの出口は、本当に人の出入りが激しい。これだったら、ノリカだろうが誰だろうが、区別はつくまい>間違えておいて威張るなよ
そして、やはり発見するより早く発見される。

金閣寺を見たい、絶対見たいとのたまうDさんにより、金閣寺は設定上にあるのだが、最年少(単に生まれ年が違うともいう)Nくんは、京都人のはずなのに「おれ、祇園って行ったことない」と漏らし「それでも京都人か!!」という蹴りを入れたわたしの「鍵善のくずきりと、ぶぶ屋のお茶漬けと、よーじやと、フランソアは行くべき」という、これまた個人的趣向によって、初祇園を奇妙なルートで進むことを余儀なくされる。
誰も煙草を吸わないので、今まで座ってきた席より奥に案内される、フランソア。暖炉の真ん前にも席があって「…あそこにはどうやって座るのか」「気合だろ」「座ってみたら?」「見てくる」…というアヤシい客っぷりを披露する。
どうしてお茶漬けが1500円もするの、と言った人々に「値段まで憶えてない」と返し、リンクを貼って納得させるだけの画像を探すことにちょっと苦労した《ぶぶ屋》へ、「お茶漬けで満腹にはなるめえ」と移動する。おかわり自由のおひつが空っぽになっていくのを目だけで追いながら「こいつらはそのうち、カオナシのように店じゅう喰いあさっていくのではなかろうか」と、5杯目のおかわりを迎えたとき「もー喰えません」サインが出る。
「くずきり食べますか?」とは訊くまでもない。
かばん屋さんに案内して、定休日だと知らなかったわたしは、お守りを飾ってある、閉まったお店のドアと窓を目の前にして、思いっきり笑われた。他のお客さんだって、日曜日が定休日だって知らないで来てるじゃないかぁぁぁ!!

「二条から一条へ歩かない?」と提案すると「何がそこにあるのだ」と質問が来て「晴明さま」と返事するしかなく、やはり「歩かねえよ!! そのまま金閣寺行くんだ!!」というお言葉をいただく。
バスに揺られ揺られて金閣寺へと、お茶漬けで満腹になったわたしがウトウトしていると、後ろから「ヤバい、ラブラブ状態になってきた!!」という携帯の画面がのびてくる。
男2人を振り向くと、Dさんは寝坊しているのに居眠りをこいて、Nくんに寄り掛かっている。
「…クス」
と、わたしが笑いたくなったかどうかについては「どうだろうか」と書くにとどめる。