楽になっても良いのだと。
わたしはただ、誰かにそう言ってもらいたかっただけなのかもしれない。

左手首に傷。自分に傷をつけて、どうしようというのだろうか。そんなことで失ったものをたちどころに取り戻せるというわけでもない。リストカットは、こころの悲鳴なのだと、友は言う。
自分のブログにありったけぶちまけてもなお、足りない悲鳴が、わたしのなかには、あるのか――手首を切ると安心するのは、かたちなき叫びが、悲鳴が、真っ赤な液体になって流れ出てゆくからなのだろうか。
自分を抑え続けていた、このもろい鎖も枷も、いつ引きちぎってしまうか知れない。薬は飲みたくなかった。だが、こんなことになるくらいなら、飲んだほうが良い。

そして、カウンセリングでやっぱり気づかれる。
「切ったら教えてくださいね」
ひとりでは乗り越えられないほどの重たいものも、ふたりなら、なんとかなるかもしれない。ふたりなら何とかなっても、ひとりのときに、何もしなければ、誰も何もしていないのとおんなじだ。
だから、わたしは乗り越えるしかない。
続くハードルを。