デパケン400で、感情の激しい起伏がなくなる。
しかし、副作用もあったもので、さっきまでカモミールの湯にのんびりとつかっていたのに、いざ水気を拭き取ると「わたしは本当に入浴していたのだろうか?」などとまで言う離人に拍車がかかり、記憶がところどころ、保存状態の悪い古墳のしっくいのように剥げ落ちている。感情は波形だったものが、停止した心臓を示すようなフラット。怒ることがなければ笑うこともなく、なんだか宙ぶらりんで不安だ。
不安というものは、どこから来るのだろうか。安定しない状況のなかでも、てきぱき動ける人は動ける。不安でパニックをおこし、ただ泣くことしかできない人もいて、わたしはさしずめ後者だろう。
おぼえているのは、ろくでもないことばかりだ。
こんなさなかでも、
わたしは、書くことだけはできるようだ。

料理もできる――だしまきたまごと、里芋のにころがし。味もわかる。けれど、何を食べたらいいのかさえ、わたしにはわからなくなってきている。何を見ても味が思い出せず石ころのように感じるので、「食べたい」という気持ちが消えてきた。昔の悪い頃がそうだったように……


…倒れているような余裕などないのに…