わたしは『ある存在』を喪失したとき、それからしばらく考えていたことがある。何故失わなければならなかったか。何故、失うのがわたしなのか。何故、その存在なのか――というようなことを。
バラバラになったジグソーパズルを修復するように、わたしの記憶を埋めていくものがある。それが、哀しみだとか、怒りだとか、そういうものであったかと問われれば、違うようにも思う。
そして、今もわたしは知らないのだ。
『それ』が何かということを。

失うのが怖くて、何もしないでいた自分だからこそ、失ったものがあった。それは「行動しなかったぶんのツケ」であり、「ツケを払うべきあらゆる対象」であった。これからわたしが、どのようにしてツケを払うかは、まだうっすらとしか決まっておらず、そしてそれは、また、わたとの希望のようなものでもある。


動くことが怖かった。失うかもしれなかったから。
動かずに失うこともあると、知らずに傲慢に生きてきたわたしは、昨晩、消えた。