相変わらず、離人が続いている。このお仲間に『解離』があり、ひどくなると、記憶そのものが抜け落ちて、別の人間(人格)として成立してしまう場合もあるという。これは多重人格とはまた違う『とん走』というものだが、わたしはこういう症状にソックリな人を知っている――

一時的なものとはいえど、病気である以上、不愉快だ。
いつ治るのか。どうすれば治るのか。そんなことは主治医にも、わからない。外科のように見えて回復するものでも、切り取ることができるものでも、ないからだ。そうやって理解を示しながらも、わたしは治癒の遅さに苛立ち、焦り、そして絶望すらおぼえる。

料理は続けられるので、本日もふらつきながら買い出しへ。食欲はあまりないが、全く食べられないというわけでもなく、また、父が腰を痛めて(たぶんギックリ)しまったため、どうしても自分しか動けない。料理をするのはわたしなので、食材の入手も、わたしの役目だ。
豆板醤を生まれてはじめて買った。そこで、わたしは疑問を持ってしまった。
「…辛口タイプ?」
豆板醤のセオリーは、辛いということではないのか。横には何も書いていない、同じメーカーの豆板醤があった。もともと辛いはずの豆板醤に『辛口』なんて書いてあるんだから、飛び上がるほど辛いかもしれない。それで父娘揃って口からゴジラか何かのように炎を噴き出すようなことは、したくない。
そんな理由で、普通の豆板醤をカゴに入れる。メモを見ると、タマネギを飛ばして野菜売場から出てしまっていた……
わたしが集中していられるのは、文章を書いているときと、買い物と、料理のときだけだ。買い物は買いもらしが出ると、その料理に決定的な何かが欠けてしまい、なおかつ『家計応援フェア』などという、有り難いイベントに気づかなかったりするし、料理のさなかは、「今、わたしはル・マンを走っているのだ!!」…という状態である>そして料理が終わると、戦場と化したキッチンの掃除が待っている
文章は自分で確認すると、散漫さがある。集中力がかなり落ちており、洗濯したまま干すのを忘れてしまったり、冷蔵庫にしまうべきものを出したままにしてしまったりして、被害が出る。マーガリンを液体にしてしまったときは、かなり落ち込んだ>さいわい、最後まで使えたが
つらいのは、読書のできないことと、会話を続けられないことだ。

昨晩遅く、大学の友達から携帯メールが入った。わたしはもう横になっていたが、彼女が「不眠症だから遅くまで起きているよ」というわたしを深夜に頼るのは、だいたいがつらいときだ。
まだ詳しく聞いていないので、どう「つらい」かは、わからない。頑張ってしまう子だから、どん底に落ちるまでストレスをためてしまう。ときどき、携帯の向こうから泣き声が聞こえさえする。
今もきっと、そんな具合かもしれない。変換できていないメールを読むと、ディスプレイがちゃんと読めないのがわかるのだ。こういったことも、音のない世界で生きてきて、得た特技の一種だ。
早く彼女と電話をしたい。
何とかもちこたえてくれ、わたしの耳。
自分もつらいときに、できることなんてたかが知れている。何もできないことのほうが、むしろ多い。それでも、わたしは自分がつらいよりは、友がつらいのが厭だ という性格は、これからもきっと変わらない。
彼女は、わたしのターニングポイントに立っていた人だ。だからかもしれない――