相変わらず、溶けそうなほどの暑さだ。
秋までは、この気温は高いまま、おだやかな波のようなグラフをえがきつづけるのだろう。東向きの窓からは容赦なく朝日が注ぎ込むため、カーテンを引いてあるわたしの部屋は、午前中は薄暗い。カーテンを閉めないと、わたしは足をチキンのように焼かれて目醒めてしまうのだ――いつも、そんな足だけが焼けている。

こうやって愛機に向かってキーを叩いていると、ときどきいろんなことを忘れる。忘れるという行為は、わたしにとっては好ましいもののようで、何故だかわたしは、ここ20年くらいの記憶がすべておぼろなものと化してしまった。かといって、記憶を失ったわけではなく、むしろところどころを昨日のことのように思い出しはしても、「これを経験したという実感が昔より淡い」のだった。
生きていくということは、風化していくということは、こういうことなのかもしれない。
むしろわたしは、過去に囚われ過ぎていた。このくらいが、わたしの「ちょうど良い濃度」かも知れず、ぼんやりとガレージに座って宅急便が届くのを待ったり、ソファで変な姿勢で本を読んでいたりする。
背もたれに足を乗せて、ひっくり返るようにして、本を読むのである。
「どうしてそんな姿勢で、しかも文庫本なんて読むのか」
なんて、至極まっとうな問いを投げかけられると、
「なんとなく体にしっくり来るものがある」
なんて、万人が首を縦に「そうなのか」とは振れない答えを出す。それが現在のわたしだが、我が家には父と猫しか居ないため、注意されることがないし、もし母の家でやっても、妹が居なければやはり、誰も叱らずに笑いながら眺めているだけのように感じる。
じつはこのスタイル、今に始まったことではなく、この家に越してきてからあったものなので、父も母も娘がひっくり返っていても、別に驚くべき事態としてとらえられないのだ。そのほかにも、わたしはダイニングの椅子に後ろ向けに座ったりした過去を持ち、「そんなお行儀の悪い子は知らない」と母に言われるまで、直らなかった。
そんな癖が最近出てきている。

どこか、退行しているのかもしれない。
やはりこの退行も今に始まったことではなく、7年付き合っている彼氏が「君は進化とか進歩とかいうより、ちょっと顔つきも仕草も、退行してるような気がする」と、数年前から「化粧なんかしても変わらないから」と、残酷な言葉とともに優しく囁いてくれる。
うるせぇっ(゜Д゜)


「不安とは、抑圧された何かである」
この何かが、わたしはさっぱり思い出せない。つまりは、そういうことなのである。