いつ、その文字を目にしたか、記憶はさだかではない。成人してからか、それとももっと以前なのか。媒体は映像だったのか紙だったのか、という細かいことも、印象に強く残っているわりには忘れている。

『かくて暗がりの地獄の底で新しい生命は生れた。
 かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまゝ死んだ。』

このフレーズを、わたしはどこかで読んでいる。いつ頃だろうか…
検索にかけると、ヒロシマピースサイトで全文が掲載されているのを見つけた。「生ましめんかな」という作品で、作者は栗原貞子さんという方で、原爆詩人として有名であること、残念ながら亡くなられたことなどもわかった。
先日、何となくスーパーの掲示板に目をやると「戦争アニメの上映は諸般の事情により中止いたします」という貼り紙がしてあった。諸般だのおためごかしに書いていても、それがおとなの決めたことであるかぎり、こどもたちにとっては暴力にもひとしい。そして、また、こどもたちは「戦争」から遠ざかる。遠ざかりながらも、テレビゲームやマンガなどで、戦争にふれる。そのとき、果たして大切なことを知っているのは、何割のこどもたちなのだろうか――

「人として大切なこと」、わたしはいくつ知っていたろうか。

以前、市から手に入れた小冊子を久しぶりに読んだ。わたしの在住している市に住む被爆者の方々の手記をまとめたものである。中学生のときに読んで保管しておいたのだが、夏になると読み返す癖がついていて、それは原爆や戦争を扱ったものであれば、夏ごとに、わたしの手に取られることになっていた。
まさか10年も続くとは思っちゃいなかったけれども。
忘れてはならない何かがある、ということ。
わたしはまだ、それだけしか知らないままで、無駄に夏を過ごしてしまったように思うのだ。