長年のお友達から、ミクシィに招待されました。断る理由はないし、むしろ「やってる人いないかしらん。身近に…」と、ポーと考えていたらば舞い込んできたチャンスでしたので、早速登録してみたりしました。
ジーさん、有難うです。
…が、簡単なプロフィールを作ってメッセンジャー(ヤフー)で話していると、フラフラするではないですか…ヤバい。相当具合悪いぞ、わたし。どーしたものか…
頓服を飲んで横になりましたが、自覚の少ない眩暈だったようで、しばらく床やら天井やらが回ったりして、軽い乗り物酔いのような感じでした。

うう、気持ち悪い。
何が厭って、こういうしんどさほど厭なものはない…
デパス飲んでも眩暈には効きませんから、ナウゼリンを放り込んで駄目ならばトレドミントラベルミンだなー…などと考えつつ、寝床でボンヤリしておりました。トレドミンは速効性がないですが、精神的なものから来る軽い眩暈には効き目もあるそうです。
ほっほう。
…とはいえ、薬が増えるのを厭がったわたしに、主治医が使った方便かもしれませんが。
具合はよろしくないです。
先週の水曜日から食欲減退とふらつき(眩暈)が見られるようになり、週末からエンシュアバニラが復活です。トレドミンも1日2錠から3錠に増え、これが効けば眩暈もおさまり、外出も楽になってくれるのでしょうが、しかし何が原因なのやらサッパリ。
外出しなければやや楽なので、家事は普通にやってますが、ドラールを抜いた後に徐々に出てきたので、やはりドラールも多少は関係しているのでしょう――事実、眠れるけれど眠りが浅くて、半日寝ていることさえありますから。
かといって、ドラールを再開すれば、ユーロジンも飲むから、結果として薬がまた増えることになる…と、頭をややかかえたのが火曜日の診察、悪化とのことで1週間おきになりました。本当に耐えられないなら、タクシー呼んででもすっ飛んでいくのが、頓服でやわらぐのを待とうとか、ドラールが抜けてトレドミンの濃度が安定するまでの辛抱だ、と転がっているあたり、「前だったら動悸だけで騒いだのになぁ」と思いながらも、自分のなかで何かがゆっくりとだけど、確実に変わっていくのを感じていたり、します。
何かが「何」だとハッキリ言えるようなものでは、ないのですが。
それにしても、わたし本当に具合悪いんだな……どんな本を読んでも、いつもなら何ともないシーンで「これでもか」と泣いてます。確か、この本を買ったのが大学の頃で、いちいち泣いていなかったように思うのに、やっぱり知らないあいだにも、自分も、何より周囲も変わるもんですねー…親子愛のシーンが、当時はしらじらしく見えてしょうがなかったのに、今だとボロボロ泣いてしまうんだから。
本の選択を誤ったかもしれませんけど。
庄司陽子著《生徒諸君!》――実は、わたしが生まれて初めて読んだ漫画は、ナッキーなのでした。手にしたきっかけは「母の本棚にあったから、それで」という単純な理由でしたが、わたしが聞こえていた最後に読んだ作品でもあります。たった7つの子供に描かれていることが理解できたとは思えません(昔の学生ってこんなに真剣に学校という場で生きてたのか、それぞれの人生・生死・恋愛・価値観とか/実際「あれくには難しいんじゃない?」と、りぼんを与えられた過去もある)が、こうして20年が経って、母の手許にあった作品が、文庫というかたちになってはいるけれど、「きみ、うちに来ないか?」ってわざわざ新刊で買ってきたわたしの手許にあるということは、何だか面映いものがあります。
今だと古本でもじゅうぶんに揃うけれど、書店の予想をかなり裏切っての品切れが続出したので、買うのに苦労したような…その証拠に、版が3つとかだし。
別シリーズで、かつて描いたキャラクターが出てくるということは、もう珍しいことでも何でもなくなってしまったのですが、「デビュー10年目で、20代なかばでした」という著者のコメントで、いかに自分にいろんな経験が不足しているかを、しみじみと実感してしまったりしています。

にしても、中学の自分って、本当に半分以上死んでたな。これ読むと。
こんなに活き活きして過ごしたのは、きっと高校の部活動くらいだね。
ほんの少し、書くことがたまらなく好きだったわたしを、思い出しました。
書いていなければ、生きてはいけなかったのかも、しれません――