医大で倒れる。またか…
行く都度、低血圧で倒れているし、診察終了まぎわでもあったので、待合で横になる。この低血圧、足を下にしている姿勢だとすぐに起こってしまうので、どうしようもないのだ。とりあえず、食事に気をつけてみたり、水分を1日2リットル採ってみたりするが、動かないでいると勝手に血圧が下がってしまう。
薬で下がっているのか、それとも低血圧の体質なのか、自律神経の変調か、原因がわからない。たぶん、後者ふたつに前者が拍車をかけているのだろう。加えて「お茶が好き」であるのも良くないようだが、わたしから茶を取ると、後に嗜好品として何が残されるのか、これもサッパリわからない(お酒もタバコもやらないので)
わたしはもしかして、医者が嫌いなのではないか。好きでもソンナモノを好まれては困るというものだが、不登校の症状がそのまま医大で出てきてしまっているような感じだった(不登校と拒食症を併発していたから、一概にそうとは言えないのだが)し、主治医が去ってしばらくすると、寝ていたこともあって、おさまってきたからだ。主治医と対面のたびにこんなことになっては、たまったものではない。
あんまり気にしないでおこう。


帰りは、流石にしんどいので、座ることができて嬉しかった。かつて入院していた病院も、そのほとりを流れる川も、今は目にしたくない。どうして自分が生きているのか、理解できなくなるからだ――何故あの子が死んで、自分なんかがのうのうと生きているのかと。
そうやって自分を追い詰めて、食べられなくなったり眠れなくなったりしたことが何度もあるし、震災の傷そのものが、そうだからだ。将来を期待された若者が亡くなり、わたしに優しくしてくれたお年寄りが亡くなり、それでも、どうしてわたしは生きているのか、病気になってまで――わからなかった。
「なんで、聞こえないわたしなんかが、生き延びたのだろう」
今では、自分の耳が不自由であることにも、いくばくかの意味を見いだしているから、そう思うことはなくなってきた。すると、耳のかわりに、別の理由が入ってきてしまったのだ。
「女としても、人としても未熟で不完全なわたしが、何故」になった。完全なものなどない。未熟なのは、あなたが成長を止めるぐらいの出来事があって、それが傷になっているからだ、生きてさえいれば、成長するチャンスはたくさんあるのだから。そう言われても、その言葉たちはしばらくは、わたしを素通りしていった。
考えても、わからなかった。わかることなら、こんなに苦しんだりすることはないということ自体わかっていなかったから、もっと考えた。そうして、わたしには「考える癖」がつき、脳が疲労して発熱するような状態になってしまった。
もっと考えて行動していたら、と思うことは、たくさんある。けれど、そのなかには「考えている暇もないし、考えて埒があくものでもない」ようなことも、たくさんあっただろう。大切なのは、どのようなときに考え、感じ、生きていくか。
ただ、それだけのことだった。

初めて『ひとりカラオケ』をやってみる。聴力が少し回復していて、逆に周囲を騒がしくは感じるけど、ささやかな幸せも感じた。歌って血圧を上げてしまえ!! 作戦は、あんまり成功しなかった。
採点すると最高でも64点、つまり「絶望的ではないけれど、平均的な音痴」…ということだ。何より、声が喉からしか出ていない。1時間半粘ってみたが、食欲はなく、ふらつきもする。延長なんてすると、財布と仲良く共倒れする。
「700円になりますー」
「安いですね」
「あ、やっぱり安いですか?」
なんて、意味のなさそうな会話をレジで楽しんでみる。
これで、野ばら先生の文庫が買える。
夕方の栄養指導で「カラオケ行ってみた」発言が問題になった。人様の仕事している時間にカラオケなぞやっているのも問題だったが、「何を歌ったの?」「岡林信康」というやり取りが問題になった。まだ耳が馴れていないため、筆談まじりの会話が始まる。先生、診察は…?
「先生ね、学生時代にバンド誘われたことあるんだって。らしくないよねー」と言うのは、長くお世話になっている美人ナースさん。「バンド? 文芸部ならともかく、確かにらしくないよね」「ねー…」「どうしたの?」
「あかん、先生が昔に戻っとる!! 目が遠く見とる!!」
視線を(1970年代から)戻した主治医は、色んな話をしてくれた。この年代に「さだまさし」とか「岡林信康」とか「ビートルズ」発言はとても危険なようで、診察室が1970フィーバーになってしまう。大学のこと、火炎瓶の作り方(そんなこと教えないでください…って、わたしは平和な時代に育ったのかもしれないと実感した)、あさま山荘のこと、ヒッピー、ビートルズフォークソング
次の患者さんが入るまで、先生への特効薬は見つからなかった……
1970フィーバー特効薬/次の診察 ワクチン/なし 治療法/特になし
血圧と免疫力には、いまいち蛋白質が不足していると(栄養士さんから)言われた。
「卵を1日1個食べて」「…そんなに?」「…」
これが、謎の体重減少の原因だった。カロリーが足りていなかったのだった。食べられる日でも1200あるかないか、わたしに必要なのは1500キロカロリーという、微妙な数字だった。