ある日、チャットに無意識に入ると、こんな文字が浮かび上がった。
もじぴったん
…それは、何? と訊く――前に――「あれくが夢中にならぬはずがない」と、教えてもらえた。ゲームの一種なのだが、わたしは生憎と遊べるハードを持ち合わせておらず、お試し版で遊んでみた。
あえなく撃沈。つまり、ハマってハマってしょうがなくなった。
「最後の9連鎖まで突撃せよ!!」
という言い出しっぺ最高司令官は、途中でドツボにはまって動けないようだ。
「元国文科をなめるなぁぁ!!」
それ以前の問題のように思うのだが、激しく気のせいだろう。
2時間後、全クリア。

わたしの本棚には、《声に出して読みたい日本語》という本が並んでいる。
いつから、奇妙な言葉が出てきたのか知らないし(無縁に育って生きてきた)、別に知りたくもない。女子高生が流行を造り出しているというのなら、わたしはそのまっただ中に居たのだということになるが、そういった「世間がこういう」自覚はてんでなかった。
京都遠足で、嵯峨野の竹林をどうしてもルートに入れるといってきかぬ娘だった。グループによっては、そのアイディアは総スカンを喰らっていただろうが、わたしの属するグループは全会一致で『竹林と野宮』を、まず最初にルートに組み込んだ。
そういう意味合いでは、わたしたちはいつも浮いていた。でも、楽しくてたまらなかった。
そんな日々を過ごした。
大学へ進んでからも、世間一般が考えるような「学生」ではない、と何度も言われたことがある。流行だ、やれイケメンだ、と話し合ったようなことはなく、能だ世阿弥源氏物語だ、やれ時代劇の法則だ――好きな飲み物は日本茶。好きな俳優は「昔のだったら、千葉真一とか」と真顔で答えて、目の前の友達が全員固まったこともある。
日本茶を飲みながら、チャンバラをアツく語る女子高生、それがわたしだった。
大学へ入ってからも、これでは浮いてしょうがないかもしれないと思っていたら、甘かった。何故なら、先生方はもっともっとコアな部分に立っていたからだ。
そして。
サークルの先輩も同輩も後輩も、みんなみんな、渋くてコアだった。
大学を辞めても、わたしはコアなままでいる。
ちなみに、好きなお茶は抹茶に昇格している。