体調がよろしくない。よろしくないのは、今にはじまったことではないのだが…暑さに自律神経がついてゆかず、お手上げ。これはゆっくりと休むに限るだろう。できることをしながら、できないことは無理をせず、そうやって過ごす連休は「もったいないけど、あたりまえで貴重」なものだなあと、ひしひしと実感する。
ゆっくりと、掃除や洗濯をしながら。
ときどき、外の空気も吸いにいく。
さすがに、日焼け止めは必需品だ…

飲み物の買い出しに出かけると、救急車が走っていった。耳をふさいで、うずくまってしまう(立ったままだと激しい動悸がするので、うずくまってしまったほうが楽なのだ)
どうも苦手だ。震災が、というよりも、わたしを娘のように可愛がってくれた、今は亡き親戚のおばちゃんがつれていかれてしまったから…だろうか。
わたしは、震災のときに走る救急車を見かけたことがない――呼んだが全部出回ってしまっていたから。そして、やっと今年になって気づいたが、わたしはショックで震災後の記憶が、ところどころ抜け落ちているのだ。当日から3日後のことまではハッキリとおぼえているし、忘れられない。
忘れたくても、世間は「忘れるな」という。
だが、忘れないことと、頻繁に思い出しては倒れるのとでは、全然違ってくる。忘れてはならないと、忘れたいと願いながらも、自分までもが「忘れるな」と日々言い聞かせてくる。
人間が記憶していられる情報には、限りがある。コップに水を入れすぎたら、あふれて出ていってしまうように、色んなことを「いつまでも」おぼえていることは、できない。だから、忘れてもいいこと、忘れては困ることを脳が選び、子供の帽子でも入りそうなわたしの頭のなかで管理しているということだが……
忘れないと、新しいことをおぼえられない、というハプニングがあった。
それは約束であったり、必要な知識であったり、人の顔や名前であったりした。試験で悪い点を取ったのは単なる勉強不足だが、わたしは先生の名前と顔を同時におぼえることができなかった。もとより、大学という場所には非常勤講師から学長までいて、全員おぼえようとするなら、数日ではとても無理だ。
それでも、わたしの記憶力はかなり最低ランクに位置していて、「こちら、●●先生」と紹介されても、何度か「はじめまして」と言ってしまった>実は授業や履修登録でお世話になっていたが、おぼえていなかった
顔と名前を、うまくおぼえられないこと。人の視線が怖くて、教室に入るのがひどく苦痛であったこと(入ればなんともないが、入る瞬間が怖かった)…先生に質問があるふりをして、いつもわたしは、教室の前で待っていた。教室を間違えていないだろうか、と何度も確認して、それでも先生が来るまでずっと「間違えていない、ここで良い」と確信をもてたことがなかった。


今では、こんなことすらが『思い出』だが。
嬉しかったことも、哀しかったことも、痛かったことも、苦しかったことも、何もかもがいつかは、『思い出』になっていく。
そして、『思い出』にしていくのは、ただひとつ、『過ぎゆく時間』だけができることだ。