朝――正しくは昼前、福知山線脱線事故を知った。
ホップが体質から効きすぎてしまっていたのと、なかなか寝つけなかったわたしは「…疲れた…」と、ベッドに転がっていた。ホップを飲むと、軽い眠気が持続する。「もう薬は飲みたくないが眠りたい」という友達にも奨めてみて「これは効く」と喜んでくれたようだが、数時間の効果があるため、飲んだ人の中には「朝になっても眠くて、気持ち良くて寝過ごしそうになった」という人もいる。
眼精疲労で重たい頭を枕の上でごろりと動かすと、メール着信ランプが光っている。こんな朝にメールをするのは、入院中の友達か、何かあった人か、最悪の場合パケ代の一定額突破通知だ。最後のものでないことを願いつつ、折り畳み式携帯をひらく。
彼氏だ。
福知山線脱線事故を起こしたけど、大丈夫?」
こういうメールはわたしも彼氏に何度か送っており、内容は似ている。「関東で地震があったよ。大丈夫?」(千葉県で発生した、比較的大きな地震のとき)や、「実家のほうで地震があったけど、大丈夫?」…という、地震関連のものばかりだが、中には「そっちで脱線事故があったらしいけど」というものもある。彼氏は「俺が使ってるのとは全然違う路線だよ」とだけ返してきて、心配したのにこれだけ? と、少し腹をたてたことがある。
まだ何も知らなかったわたしは、「福知山線乗ってないよ。大丈夫だよ」とだけ打ち、ごろごろとまた頭を左右に枕の上で動かして、起きることを決めた。ホップのせいで体がいくぶんか軽く、比較的食欲がある。
父は今日も休みのようで、階下ですでにニュースを見ていた。新幹線が脱線すれば惨劇だが、福知山線を使ったことのないわたしは、かなり急なカーブがあるということ、そして、そのカーブへ基準以上のスピードで車両が突っ込んだことを、全く知らなかった。
テレビの画面には、原形をとどめていないほどひしゃげた車両と、必死で救助する人々の姿が映し出されていた――絶句して立ち尽くしてしまった。言葉が出てこなかった。昼ご飯にゼリーを口に運んだが、食欲がどんどんなくなっていく。わたしがのろのろとぬるくなったゼリーを噛みしめているあいだにも救助は続き、どこどこの病院に被害者が運ばれたというテロップが流れる。
「震災みたい…」
これ以上は見ていると耐えられなくなりそうだったので、テレビのない自室へ戻ろうとしたところ、入院した経験のある医大にストレッチャーが走っている映像が出てきて、わたしは軽い悲鳴をあげた。
「あそこ…」
「病院やから、運ばれてくるやろ」
わたしがいつか、いのちがけで闘った場所に、どんどん傷ついた人々が運ばれてくる……そうだ、父は…母もだが、わたしが生命を失いかけたときに、わたしがどう感じたかをまだ知らないのだ。それは、伝えていないわたしが悪い。
「駄目だ。見てられない。寝る」


そして眠れもしないくせに転がって、夕方にまた階下へ戻ると、まだ父はニュースを観ていた。刻むようにふくれあがる、死者数。それは、わたしに震災を思い出させた。
「おとうさん。ニュースを観るだけでは、何もできないよ。
 うちら医者でもレスキューでもない。家でニュースを観ているだけで何が変わるの!?」
…叫びにも似た疑問が、次々に出てくる。そして、夕刊はこの事故を1面トップで扱った。運転士が以前にも乗客から「目がうつろだ」などの異常を指摘されたため、注意をしたことなどが書かれていた。注意の後、同運転士が治療をしたかしなかったかは定かではないが、注意で終わらせたということは、その「目がうつろな」運転士に乗客の生命をあずけるような行為をためらわなかったということと変わらない。
メッセンジャーで最初に「大事ないか!?」と親友から一報。チャットに入ると友達が事故におびえているので、時事問題ではあるが「こちらも気分がよろしくないので、話さないでほしい」と頼んでおいて、チャットルームを移動する。
信じられないものを見た。
「ねえ、事故の関係者ここにいる?」
激怒するほか、わたしは取るすべをもたなかった。
「地元だが、何か訊きたいことがあるのか? 殴られても構わないなら、知りたいだけ教えてやろう。
 被害者が搬送された場所は、わたしがかつて入院していた。オペ室がどこか、どの病棟はどこかわたしは熟知している。
 目の前におまえさんがいたら、わたしはそこにぶち込んでやりたいのだが!!」
キレたわたしを別の友達が「ま、遭遇してみないとわからない人もいるから…」となだめたが、そんなことでおさまる怒りならば、ここまで刃を投げようか。
「おまえさん何歳だ? 中学生でもないんだろ?
 おまえさんの神経の構造を、わたしは事故現場よりもどうなっているか知りたいのだがね?」
わたしはなぜか、女性的な言葉遣いが自然にできない。努力すればできないことはないこともあるが、できないことのほうが多い――特にこんなときには。
「テロしかり、災害しかり、犯罪しかり、おまえさんには被害者に対する心遣いというものがないのかっ!!」
また、あの愚かな男のように黙りこくって「ごめんなさい。反省してます」と言う。反省だけならサルでもできる、とは流石に言わなかったが「免罪符は売ってない」とだけ返した。もともと彼女のこういう言動は今にはじまったことではないので、ウンザリしていたところに、トドメの1発。
「わたしは今このときから君を大嫌いなんてもんじゃないほど嫌いになったから、君もわたしを嫌ってくれて構わないが?」
…これも流石に言えなかったが、わたしが「医大に入っていた」という発言をしてしまったため、いわくつきの友達がチャットから出ていってしまった。彼女は――何度も入退院をくり返さねばならない病気をもっているから。

すぐに血液は、足りなくなるだろう。ただでさえ、慢性的な血液不足が続いている。薬さえ飲んでいなければ。何もできない自分が悔しくて、情けない。こんなにも現場は近いのに、わたしは血液すらあげられないのだ………高校の親友が定期的に献血をしており、彼女のように熱心な人々が頑張ってくれることを、ただ願うしかない。
祈るしかない夜。
日付が変わる頃、絶望視されていた1両目から生存者が見つかった。
…がんばって…がんばって…