…病気まみれの日々を送っていると、どこからが日常でどこからが闘病なのか、だんだん区別がつかなくなってくる。トレドミンを足すと減らした眠剤にしだいに体も馴れてきてくれたのか、4時間という短さではあるが、眠ることが可能になってきた。無理なときはユーロジンを2に戻したり、ホップを飲んでみたりする。寝る前の脳に刺激を与えないようにするのは、大切だと実感? めいたものを抱いて、転がって《イティハーサ》を読む。


夕方に、メモを持ってクリニックへ行く。1週間かけたがまとまらなかった文章は、ところどころシャーペンで塗りつぶしてあったりする。クリニックの中でもまとめることができず、結局清書していない下書き(しかも汚い)を、情けなく思いながらナースさんに手渡す。わたしは、こんなにも自分を説明することが下手だったのだろうか? それとも、相手が相手ゆえに、何も警戒したりしていないからなのだろうか?
日記はオンラインであれば、不特定多数の人々が読む。サーチエンジンをオフにしてひっそり書くなら別だろうが、日記書き(或いは日記読み)さんの集まるサイトに登録し、かつ自分でもホームページを持っているなら、自分だけが読み返して色んな面での未熟さに赤面するよりも、たくさんの人々に読まれた上に「読みづらい」と思われてしまうことのほうが、ずっと多い。
何も論文大会ではないのだから気楽に書けば良いのに、と言われてしまえば、それまでのことだ。文章力や表現力が向上するのは、自分でも喜ばしいと感じられるし、人様から見てもそれは良いことのように思う(読みやすくなるので)。あくまでも日記は日記でしかなく、それ以上でも以下でもない。それでも、わたしからすると「単なる愚痴の吐き捨て場」ではなく「いかに自分を出すかというスペース」に見える。
わたしがこの日記を続けてずいぶん経つが、人にどれほど伝わっているかは不明だ。言葉というものは、受け取り手によってどのようにでも解釈されてしまうし、また表現によっては、誰かを傷つけてしまったり、婉曲すぎてどう取れば良いものか理解しがたいものもある。もとより、日本人という存在が生きてきたこの国では、遠回しな行動や表現が好まれる。
ゆえに、ストレートな人は生きづらさを感じるだろう。自分にとっていかに気持ち良い居場所にするか、それは本人しだいでしかない。しかしながら、力の及ばない領域というものは、いつの時代にも絶えることはない。高尚な問題から身近な問題までそれは至って変わらず、全てがマイナスにつながるかと問われればそうではないが、ツケを払わねばならないときは、相当な代価と苦痛と困難が目の前に落ちてくる。

――ということをクリニックで話したのではなく、相談できない問題を専門家に何とかしてもらいたいという純粋な気持ちからカウンセリングを望むということ、女医さんが少なくて心細いことを、率直に伝えた。
奇妙なめぐり合わせとでも言おうか、そのときわたしが持って行った本は、村山由佳著《天使の卵 エンジェルス・エッグ》だった。必要な本に出会うときは、それがどのようなかたちであれ、自分の手許へ来るというジンクスがあるのをわたしは知っているが、「ここには精神科の先生はいませんが」とあらかじめことわっていた主治医の顔を見、何とも言えない気分を味わった。
心療内科で対処しきれない場合は精神科へ行ってもらうしかない。ここでやることはカウンセリングと応じての投薬。簡単な心理テスト。そして、トラウマはともかくPTSDの専門は精神科医である――ということを了解したうえで、カウンセリングを申し込む。やはり保険はきかない。32条云々以前に、医療行為として認められないものには保険が適用されないのだ。
「簡単な心理テストを、カウンセリングの前にやっていただくことになります」
「…矢田部・ギルフォードとかですか?」
わたしはどうして、あなたに説明していたのか自分でもわからなくなってきたのですが――と言いたそうな顔を、主治医はした。矢田部・ギルフォードが出るなら、まず東大式エゴグラムも用意されているのを知っているから、それ以上は2人とも何も言わなかった。
「次の予約が入れられるのが5週間後になってますけど、もしそれまでに、このテストの答えを変えたくなってしまったら、どうすれば良いんですか?」
再び変な表情をされた。こういう質問にほとんど遭遇しない人独特の表情だ。わたしは確かに人の考えないこと、予想しないであろう答えを用意するのは好きだが、治療にそんなものを持ってきてもしょうがないし、「普通はこういうことは考えずに、素直にテストの回答を手渡すものだろうか?」と感じての発言だった。
しばらく左に黒目を向けて考えている顔をじっと見つめていると、「考えないと答えられない質問をされた」もしくは「どうしてこんな質問が飛んでくるのか」という表情をしているのだというのが理解できる――簡単に答えることができない、という表情だ。人は考えるとき、自然に目が左に寄ってしまう(対面すると左、自分で認識すると右)のは、ある小説を読んだ折に知ったことを実行してみただけなのだが、こういう表情をしてしまう人は、どうやってポーカーを楽しむのだろうか?>この表情を見ると、わたしの思考はそこまで動いてしまう。
「カウンセはそういった変化も踏まえてやっていくので、大丈夫です」
と言われるまで、わたしは「この先生を考えさせているなぁ」という自覚をもった。わたしは自分の顔がよくわからない(こういう自覚はひどく乏しい)ので、わたしもそれが表情に出てしまっていたかどうかまでは、わからなかった。ただ、「ときどきどこか、何もない場所に視線をさまよわせている」と心配されたことや、「あなたはすぐに顔に出るから、悲しんでいたり苦しんでいたり、もちろん喜んでいたりしてもわかります。わかりにくい人にはテストをさせてもらいますけども」と、精神科で言われたことはある。
「目標は何かありますか?」
「それは最終目標ですか?」
疑問に疑問で返してどうするのだろうか。みたび左に瞳が動いている。
「いえ、最初の目標です」
いくつあっても構わない。というよりは、いくつかあるうちの、自分の中で優先順位の高いものから解決するとは限らないから、「今のところ、どうにかしたいこと」を伝える。「性に対する嫌悪。精神的なものからの発熱。会食と対人の恐怖」――むろん、これが全てではないが、ここに書けないものはメモになってカルテに挟まった。

クリニックに到着してすぐに父親から電話がかかってきて、メールの打ち方をやっぱり忘れているのを知る。おまけにご丁寧に留守電まで入れてくれて、聴力が落ちているのにどうしろと…と半分げんなりして、取りあえず聞こえるものなら聞いておけと、留守電を聞く。
それによると、父は路線の違う駅前のショッピングモールに行くらしい。
それなら今度は書店へ行くのはやめて、まず合流しようと、診察後にそちらの駅に向かうものの、眼科の魅力に耐えられず、精神科で「近所だったらこの先生が良いよ」と紹介してもらった眼科に入る。眼精疲労とひどいドライアイで、頭痛薬は消えていくし角膜の傷も増えているかもしれない。おまけに、あきらかに眼鏡の度が落ちている。また今度と言えばいつになるかわからないのだから、いっそ今眼科にかかったほうが良いのではなかろうか――
「?」
受付にいたおねえさんの1人が何か言いたげに近寄ってきて話しかけてきたが、聞き取れないので紙に書いていただく。おさななじみの名前を出してきたおねえさんは、なんと、そのおさななじみのお姉さんだった。結婚していたので、名字が違っていて、しかもわたしは昔の顔しか覚えていなかったので、気づかなかったのだ。
名前を呼ぶと、
「覚えててくれて嬉しい。ドア入ってきたとき、すぐにあれくちゃんてわかったわー!!」
おねえちゃんから見ると、妹が1人増えたような感じだったのだろうか。おねえちゃんはもう母親になっていて、わたしは独身のまま、もう28になる。それでも、おねえちゃんから見たら、わたしは泣き虫な小さいあれくのままなのだろう。何度も頭を撫でられてしまった。
わたしはというと、おねえちゃんがここで働いていることを知らなかったので(妹さんのほうから少しは聞いていたが)、同じくらい驚いた。そして、覚えていてくれたことがとても嬉しくて、2人とも時間が20年くらい巻き戻ってしまった(笑)
先生の会話や対処も良い感じだったし、何よりおねえちゃんがここで働いているということが嬉しい。「あたし毎日ここで働いてるから、いつでも来てね」…と言ってもらえたが、ここは眼科だ(笑)…処方の目薬はドライアイと眼精疲労ですぐになくなってしまうだろうが、総合のように保険の適用されないものは出されなかったし、視力も様子をみて、回復があるなら眼鏡もそのままいこうということで、わたしは目薬が切れるとまた、この目医者に来るのだろう。
そして、おねえちゃんと話してしまうだろう。


父とは結局合流できず、すれ違って帰宅してしまった。けれど、『嬉しいこと』が5個以上あったし、父は携帯を持たずに外出してしまったので、こんなこともあるだろうと思っていたので、愚痴らず「こんなものだ」と思うことにした。
しばらくすると、仕事が終わったおねえちゃんからメールが来ていた。