チャットというものを「普通は」どう感じているのか、わたしは知らない。100人居れば100通りの考え方があるとまだ知らなかった頃から、わたしはチャットというものを身近に感じていた。ゆえに、わたしのチャットに対する思い入れ、ひいてはネットワークそのものに関する思い入れは、かなり深いものだろう。
ネットの存在が、浮上するさまざまな問題により「教育上云々」と、やったこともない人間に抜かされることもある。しかし、何もかも一番の問題は、力そのものではなく、その力をどのように行使するかという人間の心ひとつにあるのだ。この画面にあるのは文字だが、それを打ち込むのはハードではなく、それを造り出した人間だ。痛みを感じれば怒りも泣きも笑いもする。そういった面では、印刷された(コマンド以外の)文字――つまり活字――との差はさして無い。

怒りが殺意に変わる瞬間がどのようなものか、わたしは両親の離婚や虐待、イジメから厭というほど経験した。そして、震災。哀しみもまた殺意に変わることがあるのだと、哀しみを怒りにすり替えてしまわなくては、わたしの心はもう、そこで壊れてしまいそうだった。結局、わたしの心は負担に耐えられず、薬がなくては生きていけなくなってしまった。
哀しみが怒りに変わり、怒りが憎しみに変わる。
これがPTSDというものか、と、わたしは数ヶ月ぶりに実感した。上がる血圧。止まらない涙。キーを叩く指にいつもより力がこもり速く動き、頬を伝う涙はとめどなく流れ、ぱたぱたとわたしの手に膝に落ちる。
10年前のわたしが、そこには居た。
「人の傷をほじくり返してそんなに楽しいか? 一度死なねば理解できないか? 震災の犠牲者のかわりに、あんたが死ねばよかった。愚かなあんたが!! あんたが死んだほうが、世の中のためになってた!!」
流石にチャットで「殺してやる」とは言えなかった。だが、この一度いだいた凶悪な感情は、死ぬまで消えることはない。被災者だから優しくしろ、などとは言わない。だが、わたしは普通の神経ではまず考えられないような文字を目にした。身内に被災者が居るのなら、それなり感じたものもあるだろうと、そう相手に期待したわたしも相当愚かだった。
「うちも、親戚のおばさんが被災者でね」
それにしては、災害に関係する知識が少ないと思ったのは、気のせいだったのだろうか。被災した当時が幼かったなら、それも仕方がない。成長するにつれて学んでいくしか、ないからだ。
「モデルをやってたけど、ガラスでぐちゃぐちゃになって使い物にならなくなった」
…これは、いったいどこの言葉だろうか。
被災者にしか理解できないことは、ごまんとある。そういったことを理解できないまま発言したなら、それはそれでしょうがないと思っていた。子供であれば、なおさらだ。
…しかし、この言いぐさはいったい何なのだ? 「使い物にならない」だと? 女性が体に傷を負うその痛みは、確かに男性にはわからない。生きるためにつけた傷でも、どうしても気になってしまうときがある。わたしもその例外ではなく「この傷は病気だから手術するしかなかったの。そうしないと生きていられなかった」と自分に言い聞かせても、好きで包帯を巻いているのではない以上、ストレスを感じる。
「高校1年のときだったかなぁ?」
と学年を出し、相手の年齢を知ろうとする小賢しさにうさん臭いものをおぼえたが、こういったことは昨今のチャットでは珍しいことではないと、軽く流していた。2学年下なら、それ相応のことを、震災以外からも学びはしただろうと。

ツカイモノニナラナクナッタ。
そこで自制の神経は、勢いよく音をたてて切れた。極限まで引っ張られて細くなっていたその部分が、負荷に耐えきれずにはじけるように――わたしの指が恐ろしい速度で動く。
あんたには神経というものがないのか。
どういう神経しているのか。
人のことを使い物にならなくなったなどと、どういう性根をもてばそのようなことが言えるのか!!
あんたは震災のことを勉強できなかったんじゃない。しなかったんだ。
最初に被災者がこのチャットに居るということは、発言でわかってたはずだ。
あんたが。あんたが死ねばよかった。犠牲者になるなら!!
ここまで一気にまくしたてて、見かねた彼氏が「コイツには俺が言っておくから、君は寝なさい」と話しかけてくる。頭がガンガンと痛むのは、わたしが女だからという理由ではなかった。怒りのあまりに血圧が上がるのは本当だということを、わたしはこの日、身をもって知った。
「わたしは今でも眠れない。それだけ恐ろしかった。そして今、あんたの言葉にたとえようもない怒りを感じている。薬が増えたら、あんたのせいだ!!」
わたしの剣幕に怯えた男は、やっとそこで「部外者が口を出すべきではなかった」と謝罪したが、「部外者どうのの前に、わたしはあんたの無神経さに怒っている!! 被災者でない人でもこんな無神経な奴は見た事がない!!」――赦さない。
殺してやりたい。
デパスを震えながら飲んで、ぎくしゃくとしか動かせなくなってしまった手足をベッドに体ごと投げ出そうと、階段のところでふらついて、倒れそうになる。
殺してやりたい。
こいつに君が罪を犯すだけの価値なんてない。
わかってる。でも、法律がないならわたしはこいつを殺してる!!


「俺は、こいつは殺すよりも生き地獄を味わうべきだと考えている」
彼氏にチャットをまかせて、わたしは他の参加者に謝り、ぐったりと横になった。眠れない、眠れない、眠れない…デパス
ドラールセロクエルハルシオンユーロジン、そして、今晩だけは、デパス