けっこんします、うわーい!!
…もう28だよね? え、この人28? と、カルテを見る人々の視線が、クリニックでもドクターシーラボでも薬局でも、とっても痛いです。落ち着きがないと思ったら、やたら人見知りしている(人見知りを誰にでもしてしまうから、落ち着きがないと見えるのかもしれない)し、しぐさなんか28? 18といっても子供っぽさだけは通じるようなわたしにも、ついについに春が、
ハルシオンじゃないよ
やってきました。
わたしが結婚するわけではないのですが(爆)
結婚するのは、血はつながってなくても家族みたいな人、精神的な母親です。しあわせです。「君が結婚するのが、しあわせなんじゃないのー。ていうか君いつ結婚すんの? かーちゃんは待てんよ」と笑われそうだけど、わたしはしあわせだから、いいのです。


これ、まだ下書きなのに何書こうか迷う。今日は医者ふたつハシゴしたけれど、めでたいことなのに薬くさくしたくないので。うーんうーん。


振袖を着ていくのは、ちょっと季節が合わないので却下決定。この歳で振袖というのも、かなり無理があると思うが、わたしは拒食症で成人式に出席できず、また卒業式にも出られなかったため、振袖が真新しいまま眠っている。手許にあるのなら、せめて20代には着なくてはならないものだ。
何を着ていくかと考えれば、去年のきれいめのワンピースなどになりそうで、今からあのヒールで立てるかが怖い。体を動かしていると、明らかに寝て過ごした2ヶ月で体重も筋力も落ちていて、気をつけないと足首をローヒールでもひねってしまいそうだ。とはいえ、こんなことばかり考えていてもらちがあかない。
さて、ヨガの新しいポーズ(コースが進んでいくにつれ、どのポーズかの指定メールが送られてくるシステム)をやってみると、足が短いお陰で届かない……意地になってやってみると、言われた場所の筋肉が伸びるのがわかるが、動かさない筋肉は衰えてしまうわけで…痛くてまだ、そのポーズは不可能に近い。
どうやら、知らないうちにヨガを生活に取り入れていたらしく、簡単なポーズの中には習ってもいないのに、ときどき無意識に実行していたものがある。なるほど、という感覚だ。だから、あんな姿勢をしていたのかと。


しかし、寿というものは自分のことのように嬉しい。感受性が変な方向に強いという理由もあるのだろうが、親戚や友達に赤ちゃんが生まれることも、大切な人々が結婚したりするということも。どれくらい「大切」かは、その人によるのかもしれないけれど、少なくともわたしは我がことのように嬉しい気持ちになれるので、こんなんで自分がそういう事態に遭遇したら、もう宇宙まで飛び上がるほど嬉しくて、数日眠れなくなったりするんじゃないだろうか? と、別の意味で気になってきた。
もともとイベントの前日は寝つきにくい性格で、本人は気づいていないが、はじめての中間テスト(中学に進学して)で眠れなかったり、「じゃあ、歯の神経抜きますから」と指定された前日にも眠れなかったりして、ひどくなると「明日そっちに着くから、遅れないでね」と彼氏に言われたり、「明日奈良にでも行くか」と父に言われると、接着剤でも使わない限り、目は閉じないし体も横たえられなくなり、結果として「せっかく出かけたのにひどい顔色とクマをつけて現場に到着したこと」も、たくさんある。
当然のこと体力も続かず、ある程度動くと空気が抜けたタイヤのようにだらーんとなってしまい、へたすると水分を採ってひたすら眠るので、とっとと自分でコントロールできるようにならぬものか、と、こんな悩みもかかえている。


ここまで書いて気づいたのだが、そういうときにはデパスでも飲んでいれば良かったのだ。発病前なら仕方ないものの、手許にデパスあるんだから気づけよ!! という感じである。灯台もと暗し、とはよくいったものだ。


ぼんやりと近所を歩いていると、いつの間にかバレエスタジオができていて、ほっそりとのびやかな肢体をした女の子たちがレッスンを受けている。もともとそこがスタジオではなかっただけに驚きは大きく、天気の良い日なんて、ずっとレッスン風景を眺めていたい気持ちになる。運動は苦手の部類に入るが、「きらい」ではない。
「聞こえない人間がバレエなんかできるわけない」
と、昔父親に投げつけられた言葉が、バレエを見るたびによみがえって、ちくちくと心を突き刺す。しかし、わたしはそれが本当に不可能であるのか、前例はないのか、自分からあきらめてしまって確認しようとはしなかった。それがわたしの弱さであり、また罪だ。
「…君がバレエするとこ想像してみたけど、すんごく似合わない」
と、「実はバレエに幼い頃から憧れていて、チャンスがあればぜひチャレンジしたい」なんて話したときに言われてしまったが、チャンスなんて自分で掴むものだ。近所のバレエスタジオは、もっか眺めているだけで終わってしまうかもしれない。


それでも、心底やりたいことならば、何年かけてもあきらめないだろう。高校時代にはダンスの授業が体育に盛り込まれていたが、音楽が聞こえづらくてもダンス部の子のお手本を見つめて、カウントして、体に覚え込ませていた(さして仲良くもないわたしがあんまりじっと見つめるので、やりにくそうだったが、彼女のダンスはとても上手だったのだ)。真面目に覚えようという意志のカケラもない同級生を見て「どうして、わたしより聞こえるのに、この子はちゃんとやろうとしないんだろうか。体も弱いというわけでもないのに?」というジレンマも、あった>そりゃ、選択がいつだって好きなものばかりとは限らない
「どうせわたしなんか、できるわけないから」
と、それでも買ってしまった基本教本。宣伝や看板を見つめて見送るだけで終わっていた日々が、レッスンを受ける女の子たちを見ているうちに、まざまざと思い出される。しまいには近所にスタジオができ、
「…バレエから近づいてきてるんかなー? 好きならもっと接してみたら? って…」
とか、思ってみた、少しずつ暖かくなってきた、ある春の日。

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