水曜日から、ほとんどを眠って過ごした。スリーピング・ビューティーよろしくずっと眠っていたわけではなく、調べものをしたり、本を読んだり、家事をしたりして過ごしていた。だが、頭の中からカリエスのことは、完全に追い払っていた。日の目をみるかすらわからない原稿を書きながら、現実とそうでない部分の区別をつけるために。
まだ、完全に充電できたとは、言いがたいかもしれない。
けれど月が明けてから思ったことはひとつだけ「泣いても笑っても、ただ進むしかない」ということ――そう、恐怖で泣いても諦観して笑っても理不尽さに怒っても、時間だけは確実に過ぎてゆく。それは誰にも止めようがない。希望を捨てるなというのなら、指の隙間からこぼれないような確固たるものが証しに欲しいと、甘ったれた考えをいだいたことさえ、あった。今、そんな自分を見つめれば「なんと甘ったれだ」と思うが、そのときわたしは、絶望の淵のすぐそこまで、簡単に引きずられていた。
春の桜は、わたしにとって良いものを思い出させない。音を失って命も落としかけた、あの春を何度も思い出してしまう。これこそがわたしを長年縛りつけていたトラウマだと気づくのに、10年かかった。そして10年悩んだ。あとの10年は、もう、穏やかに眺められるはずだ。
いのち芽吹くこの季節を、遠くから。いつくしみながら。
「医師として、息子が苦しんでいるのに何もできなかった」という慚愧の念にかられる、ある人の手記を読む。もし、息子さんが生きておられたなら、わたしと同い年だ。わたしが命を落としかけた春に発病し、わたしは生きて、息子さんは壮絶な闘病生活ののち、8歳という幼さで他界された。
言うまでもなく、その息子さんとわたしの病気はまったく違うものだが…偶然とはいえ、同じ時期に生命が危険にさらされ、わたしは生きて、結果として、知らない場所で知らない同い年の男の子が亡くなったことを知り、そして、親として医療従事者として未熟だったと告白する、ひとりの男性を知った。
それだけのことだ。
「あなたの息子さんを物語にしたい」という打診は何度もあったものの、「自分の子供のことを他人に書かれることに躊躇した」その医師は、ずいぶん時間が過ぎてから手記をしたためている。
生きていなければ、わたしはこの本を手にすることもなかった。


そして、ずっと、何度か薦められていたが、踏ん切りがつかなかったヨガもやってみることにした。個人でやるためぎこちないが、続けるうちになめらかな動作が可能になることは、中学時代の卓球で経験済みだ。教室に入るわけではないので、月謝がかかるわけでもない(ただし、携帯サイトの月々の料金はかかるが)。ベストなのは教授してくれる人物に直接の指導をしてもらうことだろうが、入院すればそれもかなわない。お金もさらにかかる――という理由で、ネットでヨガ講座をやっている人に頼ったというわけだが。
暗示にかかりやすい性格をしているせいか、基本のポーズをすると、電灯の飾りの掃除をしたくなって、リビングの天井から吊るされているシャンデリア(豪華ではない)を磨く(笑)…まったく単純な性格だ……
ヨガも、卓球*1や茶道*2、油絵*3も、何もかも変わらない。基本を覚えることさえ乗り切って、続けていれば、自分で「次はこうすればいいのだな」と、自然に考える前に感じられるようになる、ということ。つまり、継続が大切だということは、何事にも通じる理念のひとつだ。
ヨガとサプリメント、栄養指導を併用してストレスを発散させ、免疫力の向上をはかる。これは入院中も続くし、退院後もずっと続けなくてはならない。体力が回復して、ドクターストップが解除されるときが来たら、やや激しいスポーツにもチャレンジできる。
今、一番やりたいスポーツは「道」のつく、精神的鍛練も可能で護身術にもなるものだが、頭の骨を削る人間が床に叩きつけられたりして頭を打つと危険なので、しばらくは、おあずけだ。

でも、永遠におあずけなわけじゃない。
だからわたしは、ただ進む。その道を照らしてもらえなくても。
この手足は動くから。この目は光と輪郭をとらえるから。
そして、生命はここにあるから。

*1:中学時代の趣味

*2:裏千家、高校時代の部活動

*3:趣味。芸術科目で修得