貢ぐだの貢がれるのだのって、何なんだろうとTVを観ていて思った。
どれくらいの時間をどれくらいの割合で費やすのが「よく」だの「しょっちゅう」だの表現するのかは不明だが、わたしはよく彼氏のことを考えるし、無職ゆえに何もあげられない記念日がかなり存在する。それは友達に対しても同様で、彼氏にあげるか、友達にあげるかという優先順位は存在しない(お金があるときに見て、いいものがあれば贈る。彼氏に使うお金が友達に使うお金でなくなっても、それはそれでしょうがないのだ。別々に貯蓄しておかないわたしが悪い
…恋愛の「れ」の字も自分の辞書に存在しなかった頃の、過去の友達にはどうだったろうか? 子供の所持金なんて、たかが知れていた。それでも、自分に使うものよりは高いものをプレゼントしたことは、ある。「どうしても●●ちゃんに今年これをもらってほしいから、まず金額を確かめてお小遣いをとっておく!!」…程度でしかなかったが。今からしたら「こんな安かったっけ…」と思ってしまうかもしれないが、友達の誕生日と本の発売日が重ならなかったら嬉しかったなどという、不謹慎にも考えたことがあった。そして、せっせとためたお小遣いは飛んでいく。


遠距離恋愛というものは、お金がかかるが、それは貢ぐという行為に入るのか」
という質問をした。実際、大きな手術をしてからわたしは東京に出ることがなくなってしまい、いつも彼氏にこちらに来てもらっている。ビジネスホテルでも、数日宿泊すると「バカにならない金額」になるし、そもそも1泊よりも新幹線の片道のほうが高いって、いったいどうなっているんだろうか(謎だ)
「いや…あれは違うでしょ。必要経費
節約が下手なだけなのか、それともこれぐらいの出費は覚悟しなくてはならないのか、わたしが東京へ行くにしろ、彼氏がこちらに来るにしろ、10万は飛んでいく。


「あなたには、遠距離よりもそばにいてくれる人がいいかもしれないね」
恋愛を始めるときに、そう言われたことがあった。今でも、恋愛以外のことでさえときどき弱気になると、「遠距離を無理して続けなくても」と言われたりする。
「遠くから支えることもできるけど、近くからでないとできないことはあるから」
言われていることは理解できるし、正論だ。だけど、わたしが返す言葉は、いつも決まっている。「近くにいるそのへんの男性より、わたしは遠い場所にいる彼氏が好きですから。いい人がいたら、それはどうなるかわからないけれど、それは向こうの彼氏も、いい女性に出会ったら気持ちが揺らぐでしょうね。それでもやっぱり好きなんです」
正論で恋愛はできない。


わたしのリアル友達で遠距離恋愛をしている人は、なぜか存在しない。「やったことあるけど、続かなかった」とか「考えられない」という人ばかりだ。これは、本当はやってはいけなかったのかもしれないが、彼氏の誕生日に高校時代の友達と食事に出かけたことがある。自然、身の回りの話題になると恋愛・結婚などというものが出てくる年齢だったので、「あれくちゃん、彼氏できたんや。どんな人? いつ生まれ?」という質問に正直に答えると「ええ、誕生日!? うちらと食事しててもいいん?」と心配されてしまった。
それでも、彼氏の誕生日は毎年同じ瞬間にやってくる。友達とは、この日その時間しか会えない。もしも遠距離でなかったなら、何ヶ月も前から予定など組んでいただろうが、遠距離だ。その日に彼氏がこちらに来る予定もなく、わたしは東京に行くお金も予定もない。そして、互いのスケジュールが重ならないようにするためには、「明日そっち行くから」なんて言えない。
「まだ、この時間だったら仕事だから電話もメールもできない*1から。帰ったらちゃんと話すよ」
そう返したら、「…なんか、おとなになったよね」みたいなこと*2を言われた。確かに、いろんな意味でオトナの世界は経験したかもしれないな、と思いながらも口にせず、ミネラルウォーターください、ではなく、水ください、と言えばよかったと、炭酸水を無理しながら飲んだ――友達はわたしが炭酸が苦手だと知っているので、顔でわかってしまっただろうが(今度からメーカー聞いておこう。スイスウォーターは炭酸なしと信じていたから、炭酸のほうを買って知らずにあおり、噴き出しそうになったことさえある)


あれから数年が経過して、相変わらず遠距離は続いている。
しかし、相変わらずわたしは炭酸飲料が苦手だ。

*1:当時は聞こえた

*2:わたしの女らしくなさと、男嫌いは有名