基本的に、熱い人間は嫌いではない。むしろ自分こそが、暑苦しく走り回っているのではないかと思う。うつならありがちだけれども、何にも興味をもてず流されるようにして幽霊のように過ごしている人間って、それは人間らしいと言えるのか、わたしにはわからない(事実、うつがひどいと寝て食べないで何もしない。できない)のだが、少なくともうつでなくても、半透明の物体のように存在することは、気分のいいものではない――うつだと、よくない、なんてものではなく、ものすごく悪いが。
雨は物憂い。慈雨と思えるのは体調のいいときだけという身勝手な思考を、わたしは持っている。重たい体をクリニック*1まで引きずっていくと、血圧計がまったく血圧をはじき出してくれないので、師長さんとふたりで慌てる。その後もその血圧計はほかの人の血圧を普通に計っていたから、きっとわたしの体質*2だろう。雨なのに上が100あるという、わたしにしては好成績であったにもかかわらず、血圧計はわたしに対しては不親切で不機嫌なままだった。一瞬、このまま意識が知らないあいだに消えて、気づいたら点滴につながれているんじゃないか、と思うほど、脈が浅かった。…原因は不明だが、水分バランスの片寄りかと思われる。
「お粥もおうどんも、もう食べていません」
と報告すると、体重が減っているのを確認して、勘違いした主治医が真っ青になったが、「固形物を少しずつですが食べてるんです。食べられるようになりました」と慌てて言い直したら破顔された。何しろ、この主治医はわたしがガリガリになったのを2度ぐらいも見てきているのだ。この先生じゃなきゃ死んでたかもなあ…と、診察室でそんな不穏なことを思った。地域医なので、悩みごとを聞いてくれたり、解決策を考えてくれたりするのが上手な人で、わたしの家庭も肉体もこの先生がいなきゃ消えてただろう。
訪問看護や往診も受け持つ内科医なので、いつ休んでいるんだろう…と、たまに不思議になることがあるし、気丈な人だが、ときどき「疲れてるんじゃないですか?」とわかってしまうこともある。むしろ先生は、いつまでも成長の度合いが低い患者にげんなりしているのかもしれないが。
帰りに、どうしても肌に合ってくれないシャンプーを一時的に保管しておくため、元のメーカーをスーパーで見つけて買う。なんだよー、いつものドラッグストアにはないのに、ここにはあるんじゃないかぁぁぁ!! …なんて買い物にまつわる理不尽は、主婦の方々ならうんざりするほどご存じかもしれない。


江口洋介が出ているドラマが始まった、と父が騒ぐので、Macを消して一緒に観る。もしも東京を甚大な災害が壊滅状態にまで追いやるとどうなるのか、というシミュレートにも似た構成の内容だが、実はこんなことは震災で実際にあった。
点滴を打つ医者の存在までは不明だが、点滴を打たねば仕事ができないほど疲れ果てていた人がいたのは、事実だ。精神科医でも先日述べたようにPTSDに苦しめられるし、江口洋介演じる進藤医師のように、器具の代用で患者を救うことができるほどの知識がまだなかったため、結果として死者は増えていった。
日常が消滅する。それが災害の被災者になるということだ。
これが本当にわたしの育った場所なのかと、ぼんやりとするしかなかった日々。よく考えれば受験なんて来年でもいいだろうに、動く体をボランティアに使うことができなかった。もっとも、主治医も彼氏も「健康なときにしても、いつか倒れる神経をしているからやらないほうがいい」とわたしを見て言うから、してもしなくても倒れてしまっていただろうし、被害のないところからはるばる来てくださったボランティアさんの中にも、PTSDを発症してしまう人が出ている。
8つの男の子が重体になり、容態と予後を説明するも言葉に詰まる医師と「どんなことをしても助けてほしい」とすがりつく両親のシーンで、また7つの春を思い出す。こんな感じだったのかな…「全力を尽くします」しか誰も言えなかったときもあったのだろうな、当時のカルテを見せてもらったら、そんな中身だった。第三者に淡々と説明してもらうしか、あのとき何があってわたしはどうなってしまったのか、知ることができなかった。「あれくちゃん、先生は大阪の病院に移っちゃったってこないだ言ったよね?」と長年お世話になったナースさんに「カルテを見せてください」と無茶を言った。
今、その医大のカルテは保存期間を過ぎていて、主治医がいても読めないだろう。当時を知る主治医も「君が生きてんのは、奇跡としかいいようが僕もないねん」…アポもなしにカルテを見せてくれと押しかけることが迷惑で非常識なこととは理解していたが(その話をしたらみんな驚いた)、わたしはどうしても知りたかった。「どうして、わたしは聞こえなくなったの? それは、何がいけなかったの?」ということを。
そして理解した。誰も何も悪くなかったと。
ドラマの中で、壊滅した都市は復興に向けて歩み始めた。「希望が見えてきました」という台詞があったが、希望すら奪っていくのが死であり虚無だ。しかし、それを取り戻そうとするのが、生命であり生そのものだ。


いつもそばにあって当たり前のものが、消えていくということ。失うということ。それはとても痛く、つらいことだ。愛犬を失って立ち直るまでに、わたしは5年近くもかけてしまった。腫れ物にさわるようにわたしを遠目に見つめる人間の中で、変わらずあとを歩いてきてくれるのが、愛犬だったから。その愛犬の最期に、わたしは手術でそばにいられなかったから。
愛猫もそのときすでにいたが、哀しみが深すぎて、愛猫を抱きしめながら泣いて過ごしたこともあった。やっと少しずつだが、愛犬が使っていた薬を捨てたりすることを始めた。「同人誌を出します」と言ったのも、それが関係している。
今度は、変わらずやっぱりそばにいてくれた愛猫が、体調を崩した。まだ体力もあるし一時的なものだと様子をみていたが、具合が悪くなってきた。この子に何かあったら、わたしはまた抜け殻になるのだろうか――守ってやれなくて、何が飼い主なんだろう。
ひどい無力感を感じながら、わたしはネットで思いつく限り調べて、体調の変化に気を配るしかなかった。
「精神的に強くなりたいんです。成熟していきたいんです」と、精神科で告げた、ある雨の日のこと。

*1:かけもち複数

*2:雨の日はすごく低血圧。ひどいと上80