少しずつだが、はてなの使い方がわかってきた。クラリチンも効いてきている…ように思う。次は、止まっていたサイトの更新と改造を始めようと思う。OSを上げたらMOがみごとにロック状態になってしまい、今までのデータは全部ハードにあったから、サーバから落としてこなくてはならない。カリエス記もハード上にあったので、もうトホホ。しかも続く。さらにトホホ。
世の中には、続いていいものと悪いものがあるんだなぁ、なんて曇天から降る雪を口に入れて跳ねたり飛んだり。そして、積み重ねられた本タワー(もはや本棚破裂)を見て、なんて殺伐とした本ばかりがあるんだろう? と疑問に思ってみたりもする。《あずみ》は一応いいとして(いいのか?)も、《ヘルシング》や《トライガン・マキシマム》、《ピルグリム・イェーガー》は人が死にすぎている。


最近、父が職場関係のお悔やみが多いせいか、「疲れた」と言うことが多くなってきた。天命を知るという50代にさしかかったということも、無関係ではないだろう。父はわたしの年齢にしては比較的若いほうなので、気にしてはいなかったが、「冬は葬式が多い」とも、ぼやく。洗い物をしながら声を張り上げて(わたしの一家はそろって難聴。父は職業性難聴)、「人は生きていれば死ぬよ。年を取っても取らなくても、病気や事故で死ぬ子供もいるでしょう」続けて、「人が死ぬってホント確かにいい気分じゃない。けれど、死んだら二度と生き返らないし戻ってこないから、尊さがわかるんじゃないのかな?」と言ってみた。
最近の子供は怖いもので、人は殺しても生き返ると思っているという返答があったりする。学校でウサギが殺されたりする陰惨な事件はあとをたたないが、死んでもすぐに同じウサギが入ってくるような小屋ではわからないだろう。
わたしは小学生の頃、女子グループでハツカネズミを飼育していたことがあった。しかし連休で誰も世話しなかったため、ハツカネズミは死んでしまった。わたしが「かーくん」と呼んで可愛がっていた、ひときわ元気で大きな子だけが、生き残った。
みんな動物を飼った経験がなかったのだろうか? しかし、既に何度か自宅でウサギやカナリアを看取ったわたしにも責任はあり、人間が1日でも世話を怠ればその生命が危険にさらされることはわかっていたはずなのに、誰かが当番で世話をしているのだろうと思って、連休前に最後までカゴの中のハツカネズミを可愛がっていたのは、わたしだ。誰もおとなが居なくても、「しんぱいなので、うちでめんどうをみます」と、メモを残してカゴを自宅に持って帰ればよかった。父には怒鳴られるかもしれない。だが、それが正しい道だったのに、わたしは「誰かがやってくれるかも」と、ハツカネズミを殺してしまったも同様だ。
わたしが担当していた子だけが生き延びた。食パンを持って登校したときにはぐったりしていたが、少しずつまめに水を飲ませると元気になり、パンをかじり出した。本当に心臓が止まっているのか、心臓の場所を教えて少しでもサインを見逃さないようにみんなに言えば、あと2匹は助かったかもしれない。脱水症状をおこしていると言えば、よかったのかもしれない。少なくとも、わたしにはそれだけ動物に関する知識はあったのだから。
結局、ハツカネズミは飼育小屋へ返すことになった。みんな「かーくんまで死なせるのはイヤだ」と言っていた。それなら何故ハツカネズミ達は死ぬようなことになったのか、死なせないように面倒を見るにはどうすればいいのか、誰も言い出さないのが、わたしには奇異なものに見えたが、知識がなくては生き物は飼えない。
高校に上がって、わたしは友達を病気で亡くした。それ以来「わたしがお見舞いに行くと誰も元気になれずに死ぬんじゃないか」という強迫観念にとらわれて、実際、わたしが見舞った人々は亡くなってしまっているものだから、お通夜だけで倒れてしまうことも多かった。
だけど、生命あるものは、いつか死を迎えるのだ。それが、わたしの身近にあったに過ぎない。耐性菌に感染している現在は、わたしより免疫力の低い人を見舞うことは自粛しているが。
「お父さんがお葬式にたくさん出るのは、職場での関係が広くて大きいからだよ。わたしも働けるようになったら、そうなると思う。お父さんは親しくしてきた人が亡くなっていくのが怖いしつらいんでしょう? それは、その人が大切ってことだよ」
父はやはり、何も言わなかった。