とりあえず4日は続けてユーロジンを飲んでくだされ。と言われ、ユーロジンなるものを調べてみました。わたしが眠れなくなった理由は『悪化した乾燥肌の痒み』が原因であり、ハルシオンの耐性もそこにちょっと入っています(起き出して、手持ちのステロイド塗ってたりしたので)
ユーロジン 副作用/かゆみ
…ちょっと待て先生!!(爆) タリオンとニポラジンが出たのは、この副作用が原因だった場合のこともあったのね…ガク。タリオンはともかく、ニポラジンはちっとも効いていないような気がしてきました。過去に長期に通年性花粉症*1で服用歴があったので、たぶんコレ飲んでも痒みはおさまらないだろうなぁ、と。事実、わたしはカリエスの入院時に「死ぬほど痒い」と真夜中に泣きながら多量のボアラ軟膏をナースさんにこれでもかこれでもかと塗っていただいたことがあります。背中には、さすがに手はうまく届きませんので。
そして。
前髪が目に入って痛いわ、結膜炎起こすわで、切らないとヤバいので、日曜日予約を入れておいた美容室にて、前髪のみカット。いつもわたしは数ヶ月おきにトリートメントやシャンプーを「たまのぜいたく」でしていただくので、「本日は前髪カットのみでよろしいのでしょうか?」と、過去にわたしの眼鏡を破壊してくれたことのある、少しどんくさいけど悪い人ではない、むしろ筆談もいやがらず、身ぶり手ぶりで詳しく説明してくれるユニークな店長さんに尋ねられ、「もうすぐ入院の予定があるので、退院したあとの楽しみにとっておきたいんです」…なんて笑顔で返すあたり、なんだか変わった客だと感じます。縫った場所も見ちゃった店長さん、今さら驚きません。
いつものシャンプーがなかったので。メーカーを変えてみたら地肌が乾燥してきたのでタスケテ。という相談をしてみたらば、実はせっけんシャンプーは普通のシャンプーよりも強力な洗浄力があることが判明……
髪質改善研究所を、少し恨んだりしてみました。いや、良いメーカーですけど。
夏はスッキリしていいのだけど、冬なんかは地獄です。でも使わないともったいないから、倍以上に薄めてトリートメントを地肌につけて油分を補ってみようという荒技に挑戦することとなりました。
これ以上、痒くて眠れないのは耐えられない。血が出るまで掻きむしらないと駄目なほど痒くさえなきゃユーロジンも出されなくてよかったのに。と、デリケートすぎるわたしのままならぬ心と体を恨みつつ、カット終了後は皮膚科へ行くのだ! と決意し、久しぶりにかかりつけの皮膚科の診察券を見て「休診日は金曜日だし大丈夫」…
火曜・木曜のみ午前診
……オゥマイガッ!!!!
仕方ないので、午後は婦人科へ行き、痒みにはまったく効果のない、しかし不可欠な薬をいただいてきました。これです。

もー泣きたい。かんにんして。
とか考えながらも、久しぶりに観る《ブリーチ》に喜んでしまうあたり、単純です。《ブラック・ジャック》も《ブリーチ》も観たいけれど、今までは点滴やら注射やらに時間を喰われてしまって、帰宅が働いている人並みに遅かったからですが>結果、流動食でも夕食はその時間帯。
しかし、最近急にアクティブになったせいか、夜は気分が悪くなってダウンしてました。ユーロジンが効くならハルシオンは要らないのでは…と、朦朧と考えながら、昼過ぎまで起きられない我が身を恨めしく思っていました。
まだ、続けて出かけるのはキツいです。カリエス記を再開しようとしてノートをめくっていたら「寝てばかりだとどんどん体力おちていくみたいで怖いよ」……術後3日目にして「洗顔とハミガキは欠かさなかった」このバイタリティ、過去の我ながら頭が下がります。
言い替えれば、その根性こそ勉学続行に欲しかった…勉学のために果てるなら本望と思っていましたが、「あんたはそれで良いかもしれんけど、あんたに死なれた人がどんな思いをするかも考えてくれよ!! 俺はあんたに死なれるんはイヤや!!」という親友の泣きながら放った言葉が、今も離れません。この言葉がなかったなら、わたしはそのまま大学へ行って、倒れても笑っていたでしょう。
好きなもののためなら本望だと。
でも、それはほかの人も同じことでした。わたしはどこに居ても結局、自分自身しか見えていなくて、周囲のことまでには及ばなかったのです。何度も長期欠席と休学をくり返し、父には多額の学費を無駄にさせてしまいました。父は誰よりもわたしの進学を望んでいたので、わたしが大学を辞めることに関しては渋り、お金のことも多少は口にしましたが、このまま続けて体力がもたない危険があると告げると、それきり言わなくなりました。


やはりカリエスのこと、今までのことは平気な顔をしていてもショックが大きかったようで、夜に親友とメッセで話したときに「真珠腫だという可能性も覚悟していたから、それにくらべればカリエスでよかったと思ったのに…」と、泣いてしまいました。
「狂いそうなほど怖いはずや。頭の骨削ったんやから」
きっと先生も「あー、もう今度こそこの子は駄目かも」と思うくらい怖かっただろうね、と、それでも泣きながら返したものですが、やはりわたしは怖かったのです。だからこそ、「もう(手術しても聞こえるようになることは)、あきらめないといけないかもしれない」と告げられて1年後に、ずっとただの穴になっていた鼓膜が塞がり、気まぐれではあるけれど音を届けてくれるようになったことが、とても幸せで嬉しく感じたのだ、と、改めて考えさせられました。
再発も覚悟していたものの、すごくショック。ガンのように転移しないのだからラッキーに思え、病巣は前より小さいうちに見つかったから平気だ、と自分に言い聞かせても、もう一度髪の毛を剃って、何度も切っているので切りにくくなっている筋肉を切らせてもらうよ、と告げられた12月、やはりわたしはとてもつらかったのです。
日記はその前から体調不良で止まっていますが、再発を告げられた直後、他の診療科の主治医に「再発したので入院します。お薬の処方を長めにお願いしたり、医大からFAXで連絡させていただくこともあると思いますが、よろしくお願いします」と冷静に伝え、わたしはわぁわぁと「前にこんなに泣いたのはいつだっけ」と思うほど、精神科で泣いたのでした。
泣いてもどうにもなりませんから、と、別の科で笑ったばかりだったというのに。
泣いてもどうにもならないのに、どうにもならないからこそ、涙は出るのでしょうか。でも、どんなに泣いても最後には立って歩かないといけないな、ということだけは、かつてわたしが命を失いかけたとき、わたしの前では決して泣かなかった父と母を見て、わかっているつもりです。

とりあえず、市販のクリームをたんまり塗ってみます。

*1:1年中の花粉症。イネ科