「だって鬼武者みたいに必殺技で倒せると思ってたんだもん!!」
親友が「コレやってみる?」と貸してくれたPS2ソフト《真・三国無双》で、何度やっても呂布に勝てないわたしが、貸してくれた本人が「今、デビルサマナー楽しんでる」と、あまりにも楽しそうで悔しくなってしまい、1ヶ月未満でクリアしてしまった《遥かなる時空の中で3》の次に何もゲームをする気がなくなり、《ゼノサーガ2》をストーリーを知りたくて泣きたくてちんたらやっていたときに、放った言葉がそれだった。
「いや、そんなんないから…それと弓矢つこてる?」
「弓矢なんて使えるの?」
「…丸出しやな」
なんてハプニングも、あったりした。
そんなわたしは、ゲームにも少年マンガにも免疫があまりない――というのも、ジャンプなんて男が読むもので、ゲームやってるとバカになるんでしょ? と、成人するまで信じて疑わなかったからだ(思い込みって怖い)。それが今ではある程度はゲームをたしなむし、男性向けのマンガも読むようになった。そのうち比率が同じになるんじゃないかと思うほど、新刊を出すのが早い作家さんが少年マンガには多く、財布がよじれて悲鳴をあげることも、ままある。隔週で発売される雑誌はコミックスになるペースが早く、ストーリー展開も急激で、たまに追いつけない。作家本人もハイペースで描かなくてはならず、休まないでどうしてこんなに書けるのか、と心配になってしまう人もいる(コバルトで活躍している小説家・須賀しのぶは、ほとんど毎月単行本が出ていて驚く)
最近一気に読み返したものは、やはり久保帯人《ブリーチ》。
はてなダイアリーでは全角ローマ字には反映されないのを知っていて、わたしは敢えて全角を使っている。半角だと何だか落ち着かない感じがするからだ――手書きには、半角と全角の区別もなく、大文字と小文字が入り乱れているが、やはりワープロやパソコンだと、可能な部分は全角になっている。
この《ブリーチ》だが、主人公・黒崎一護がはなっから死神になった挙げ句、夏休みに別世界に逃亡――もとい朽木ルキアという名の死神少女の救出作業――に没頭してしまったため、妹や父親、普通の(霊やオバケと縁がない)友達は『こっち側』で、作者によりひっそりと1〜3ページ描かれるにとどまっている。
わたしがこの作品を読みはじめた頃、まだアニメになるプロジェクトも無かった。しかし、原作が終了していない時点でアニメになることも珍しくなくなってしまった漫画業界、次にジャンプがアニメにするとしたら、この《ブリーチ》だろうなぁ…なんて考えていたら、ホントにアニメになってしまった。
小説業界でもそれは珍しくなく、田中芳樹著《アルスラーン戦記》なんて、続きが出ないままアニメがアルスラーン戴冠式あたりで終わっている。あとがきには「このままではアニメ(或いはカセット文庫)に追いつかれてしまうので、急いで書かないと…」や、「先に脚本を上げて後から原作が…というのは駄目だろうか」…そんな感じの、作者の深い、深すぎる溜息すら聞こえそうな文章が掲載されている。脚本と原作は小説でも全く別なので、作者が頭をかかえるのも無理はないだろう。
さて、逸れた話は《ブリーチ》へ。織姫のナイスバディや、ある意味ナイス過ぎるルキアが目当てで購入したというヨコシマな経験の持ち主である、今は熱狂読者となってしまったわたしが一番好きな台詞は、一護の1巻のもの。

BLEACH  1 (ジャンプコミックス)

BLEACH 1 (ジャンプコミックス)

「…兄貴ってのが…どうして一番最初に生まれてくるか、知ってるか?」
織姫が凶悪な霊になってしまった実の兄に襲われるというシーンで、呟きが叫びに変わる。
「後から生まれてくる…妹や弟を守るためだ!!
 兄貴が妹に向かって“殺してやる”なんて…死んでも言うんじゃねェよ!!」
この時点で既に肉体を失っている織姫の兄は『死んでいる人』だが、なりたて死神の一護にすれば、それは強くマイナスの方向へ行ってしまった霊(虚――ホロウと呼ばれる)であれど、見えて感触すらある存在だ。逆に言うと、一護のようでなければ声も気配もわからない存在だ。
俗に霊能者と呼ばれる人が、全員こんな風なのではない。見えないものと、そういった存在のかたわらに在り、認め、生きていく人々の姿を具象化したものが《ブリーチ》であったり、《カルラ舞う!*1》に代表されるホラー漫画である。
もともと、絵や字(活字)は作者の思考の具象化である。話すと長くなったり、話すのが得手ではなかったり、表現を得意とする人に「見えるように」してもらう点では、見えないものの存在を、『何かによって』感じ取ることに似ている。話してもらっても同様だが、わたしは「会話」というものを「文字」で認識するため、このような表現となる。


なぜ、自分が妹という存在を持つのか。
なぜ、先に生まれてきたのか。
それらは全て説明するならば簡単で「わたしが先に生命を受けた」というほかにない。わたしの世代、障害のある人々は、今よりずっと生きづらかった。もう少し遅く生まれていたら、わたしは障害児にならずに済んだと思いつめたことすら、あった。聞こえない人々がみんな、このように思うわけではない。複雑な環境が付加されれば考えるようになるのかといえば、そうでもない。
考えなければ、わたしは生きていけなかったのだ。
こじつけでも良い。自分が存在する価値を見いだしたかった。
そんな思春期を過ごしたわたしの前に、一護は現れた。
「何も…、…訊かねえのか?」
「…訊けば、答えるのか?」
少し時間が経った物語で、この物語のヒロインであろうルキアは、一護の真横を走りながら問いかけてくる。
「深い、深い問題だ。私はそれを訊く術を持たぬ。
 貴様の心に泥をつけず、その深きにまで踏み込んで、それを訊く上手い術を私は持たぬ。
 だから待つ。
 いつか貴様が話したくなった時、話してもいいと思った時に…話してくれ」
いつまでも待てるのは、ルキアが無限にも近い時間を持っているからだ。しかし、人間である一護も作者も読者も、1秒を生きて成長し、老いる。ルキアが微笑みを返して「話してくれ」と言えるのは、そのせいもあるだろう。
そして、わたしは――
やはり待つ。限りある生命の中でも。
それが、信じて時間をともに過ごすことだと、思ったから。

*1:現在はサスぺリアで連載中、もともとは『ハロウィン』から始まった、永久保貴一の長編漫画