うわー。
Macがネットにつながらない。
ADSLそのものには接続できるくせにさぁ。ぷんすか。
イケナイとわかってはいても、現在彼氏からのお下がりおんぼろサブノート(壊れかけのため要修理)からつないでいる。


Macが直ると消えるはてな版日記は携帯からの記入がおもで、文章を整えるのにはこのサブノートかネットカフェのみ。しかし、わたしは未だにネットカフェへも漫画喫茶へも入ったことはないのだった…必要になってきた時点ですでに体が変調をきたしており、とても行けるような具合ではないのと、セキュリティ面の不安と……
よく考えてみたら、微熱は去年の春にはもうときどき出ていたわけで、それを「再発」ではなく、どちらかというと「風邪」として考えていたのが、治療の遅れになってしまってたり…するのかな? カリエス以来ごっそり体力を持っていかれ、あまり気にしていなかったら、リッチな点滴ライフを味わう羽目になるなんて(涙)
病気ってイヤだな。


今も数日おきに注射を打たねば食べられない。拒食モード再来。
精神的な不安や葛藤はないと言えば嘘になるし、話して楽になるものと、話して楽になるけど解決しないものは違うじゃないか、と、何度も一人で抱え込みモードをくり返して悪化してしまったようで、どうにもやるせない気持ち。
今は耐えて待つべき時間ではないですか? と言われるまで気づかない、気づきたくない猪突猛進単細胞。何もしないで後悔するよりは行動して後悔したほうがいいじゃないか、というのはヤン・ウェンリーの言葉だが、この言葉が当てはまるタイプとそうでないタイプがいるということにも、また気づかなかった。
気づきたくなかったのか。
確かに何もしなかったより、したほうが悔いは少ないかもしれない。けれど動かなければ好転した事態だったなら、それを見切ることができなければ、動き続けて損をする。


Macが壊れているうちに(やっと最近ドライブの破損に気づいた。間抜け)、ひとつ年を喰った。だけど「ひとつおとなになった」感触は淡くて、相変わらずわたしは「わたしのなかにいるこども」の数を減らすことが上手でない。
「おとな」になっても「こども」は何処かに必ずいるものだ。


ただ。
過ぎ去った過去に感謝できる時間があったのも否めない。
そういう部分は、わずかながら変わっていっているのかもしれない。