10年めの朝を、奇妙な気持ちで迎えた。
風邪をひいてしまっているわたしの体は、高熱で悪寒と倦怠感を感じていた。それでもわたしにとって、無視できるような時間ではなかった。少しくらいなら起きられるだろうと、水分をたっぷり採って保温につとめ、テレビをつける。


生きていてもいいのだと。
わたしはずっとその言葉に飢えていた。
生きなくてはならないという思いばかりが先走って、生きたいと考えたことはつゆほどもなかった。憎しみや悲しみだけでも、人は生きてゆける。憎しみさえあれば、生きてゆける。脆弱で無力で矮小な己を憎み、冷酷な現実を憎み、「子供はいらない」とわたしの前で醜く言い争った両親を憎み、わたしはそれだけで数年の自分を支えた。
ときにわたしは正しかったし、間違えていた。義憤と私憤の区別もまだつかず、学んでゆかねばならないことは、山ほどあった。たしかに人は、憎しみさえあれば生きてゆける。何かを憎むことによって対極に存在するものを愛し、あるいは愛していると錯覚して、そうやって生きてゆくことは可能だ。だが、いつか時間が教える。「憎しみと悲しみによって生きることは、つらいことだ」と。
わたしはわたしからいろんなものを奪っていき、踏みにじったものを憎んだが、何も愛してはいなかった。誰も何も愛さずに生きて、からっぽにかつえて渇いている自分に気づいたそのとき、生きるとはいったいどういうことなのか、と考えた。




自分の人生をみずみずしく豊かにすることだろうか?
激しい感情につき動かされて、ひたむきに走ることだろうか?
…もっとも、そんなに簡単に答えが出てくるのならば、誰も悩んだりしないだろう。みずから生命を絶つまねもしない。答えがどこにあるのか知らないまま、ただ、わたしは細胞の活動を見送った。細胞が動いているうちは「生きてる」のだと。
あれから10年、答えは明確ではないものばかりだ。複数の答えがあるということにも、少し驚きを感じた。どれが「これだ」と言えるような答えではないけれども。
決して目に見えるものばかりで構築されている世界ではない、ということ。
そして、わたしは憎みながらも、愛されていたのだと気づきたくなかったのだと。


「生き残った人間には、全力で生きる義務がある」
昔ならその言葉はとても重たかったが、今、同じ言葉をあたたかく感じる。
生きていても、いいのだ。


クリニックで点滴を受けても下がらない熱をもてあましながら、親友のメールの内容を思った。
「虹がでていたよ。とてもきれいだったよ」
……虹は、わたしがずっと10年のあいだ、その朝に出てほしいと待ち望んでいたものだった。なないろの橋をわたって、あの日、天へ行ってしまった生命がかえってきてくれるのではないかと、夢のようなことを考えながら。