ここのところ、日記を書き続ける気力がない。携帯日記も穴だらけ。友達の妹さんの件も落ち着き、わたしの耳も落ち着いていて、今度医大へ行ったときは、耳のチューブではなく、親知らずを抜くことになるだろう。何度も耳の手術を大小受けているくせに、抜いてしまえば縫っておしまいの親知らずを抜くのが怖い(苦笑)し、打ってしまえばおしまい(3日ほどだるかった)のインフルエンザワクチンも怖かった。
けれど一番怖いのは、そんなものではないように思える。

カウンセラーが、今月から変わる。それによって、わたしも大きく変わってしまうだろう。実際、歩いていけるような距離ではなくなり、電車で1時間ほどもかかる神戸市まで出かけなくてはならなくなった。それが怖いのかと問われれば、少しわからない。わたしは――うきうきしているのかも知れないから。カウンセラーなんて所詮は他人であって自分ではないし、問題を解決するのも自分でしかないけれど、かなり楽になれそうな気がするから。
特に、わたしのような人間は。


ただ、発達障害が治せるかまではわからない。
わたしは、それで何度も人間関係を壊している。
治るかわからない、しかも爆弾のような病気をいくつもかかえているということ。それがわたしの恐怖のみなもとなのかもしれない。
この病気さえなければ、
この病気さえなければ、
この病気さえなければ。

もう、こんな年齢だ。要因となった親に、しかも片方は別れてしまっているのに「わたしはあなたがたのおかげで発達障害です。治す手助けをしてください」と言ったところで期待はいくばくもできない。いくばくどころか、これっぽっちも、だ(何故ならふたりともわたしに対しての関心が極端に薄い)
なるほど、妹の受験は大切だろう。だが、その妹までもが発達障害である可能性もあるのだ。さて、それが本当であったとして、母親は知ればどうするだろうか?

父に、月一万もかかるカウンセリングを条件付きで認めてもらっただけでも、進歩ではあるのだが。