親との葛藤を何とかするには、カウンセラーに相当の技量が必要である、ということを言われたと主治医に相談する。前々主治医は既に大阪に戻っていて、しかも2ヶ所で診察を受けることができないのが、この自立支援法の制度だ(とはいえ、障害者医療助成がわたしに適応されていても、県内だけなので結局耳鼻科はお金がかかる)
新しくカウンセリングを受けるのが良いのか。前々主治医に会いにいって、カウンセリングをしてもらうのが良いのか。現在の主治医は診察は丁寧だが、カウンセリングはできないと言う。前々主治医にもし診てもらうようなことがあれば…とお金の相談をすると、主治医は厭な表情ひとつせずに「初診だと8000、それ以降が5000になります」と教えてくれた。カウンセリングだと1回10000だ…

何故、カウンセリングを受けるのだろうか。
それは、わたしがひとりではどうしようもない問題をかかえていて、かつその問題は、どうしても乗り越えてやらなければならないものだからだ。今すぐにどうにかなるものでもないし、どうにかしてやれと意気込むことでもないのかもしれないが、わたしはこの問題をかかえている以上、突然苦しみに襲われることがある。
その苦しみには哀しみや恨みや寂しさが含まれていて、立ち尽くすわたしをずたずたにしようとする。それからずっと逃げ続けていたわたしは、数年で壊れた。もうこれ以上何も壊されたくない。壊れたくもない。逃げるわけにはいかない。立ち向かわねばという気持ちが、どうしようもなくわたしを急がせ焦らせる。




わたしはいつもこう言う。
「感情を爆発させて、母を傷つけるのは厭、怖い」
けれど主治医はこの日、こう返した。
「だけどあなたも傷ついた」
…気づかなかった。気づきたくなかった。知っていたのに。
わたしは母を傷つけるのが怖いのではない。嫌われるのが怖いのだ。