早朝になっても寝付けないので、しぶしぶベゲタミンBを飲んだら、今度は夕方まで意識不明。そもそも、ベゲタミンブロバリンを一緒に飲むのが間違えているのかもしれないが、様々な薬を飲んできたわたしには耐性がついてしまい、増えたり減ったりを繰り返している。少なくとも、2年前よりは少なくなっているし、効果も弱いものになっているのだが、それでも薬を飲むたびに、気が滅入る。
いつまで飲んでいれば、良いのだろう。
そしてわたしは、単なるうつ病ではなく、(恐らく)気分障害という病気で、軽い躁病とうつをくり返し、睡眠を拒否したり不眠症になったり、集中力がなくなったり、感情的になったかと思うと、能面のような表情になったりする。しかしこの病名も『恐らくこの可能性が』だの『これが一番似ています』だので、「この病気です」とはっきりはしない。病名がわからない限り、対症療法を応じてしていくしかない。わたしは現在、軽躁病のターンにいる。そして落ち込み始めているため、今度はうつがやってくるだろう。

どうしても病名が欲しかった。そうすれば、治療もスムーズに進み、わたしはこういう病気ですからと言うこともできただろう。楽になりたかったのだ。病気の本体すら見えず、ふらふらと魂だけが抜け出すような生活は、もう厭だ。どの薬が効くか、適切な処方かすらわかれば、もっと楽になれるのに。なりたいのに。
楽になりたい。
わたしは7月の末まで、泣いてばかりだった。とにかく憂鬱でたまらなくて、勝手に涙がこぼれてくるのだ。それが循環して活発になったりしたのは、つい最近のできごとだ。何度も手首を切った。安心できるまで切った。切るたびに傷は深くなり、二度と消えない痕を残す。今月に入ってわたしがつけた傷は、消えることはないだろう。

明日から、いつものクリニックはしばらく休診だ。
「そのあいだにリストカットがひどくなったり、もう駄目だというときは、近くの病院で見てもらって下さい。W病院か、H医大が良いと思います」



何故、わたしはリストカッターになってしまったのだろうか。
体のなかの、きたない血を一滴でも出してしまいたかった。普通の人より血小板とヘマトクリットの多いわたしの血液は、切ってもすぐ固まってしまう。固まらせないためには深く幾つかの疵をつけねばならず、そんなわけで、わたしの左手首は面白いことになっている。

わたしの血は汚れている。
薬で、憎しみで、哀しみで、妬みで。
薬さえ飲んでいなければ、細菌感染さえなければ、干涸びるまで採られても良い。血液が足りなかったり、出血が止まらない人には、こんな血液ほどうってつけなものはない。

そんなことをにこにこと話すのが、今のわたしだ。
眠剤は、少しきついものに変わり、わたしはまたバルビツールを飲むことになった。