そういえば、最近、本のことを全く書いていない。
読みはするけれど読後の気持ちを書くまでに至らない本ばかり読んでいるのではなく、読後の感想を述べるだけの力がない。そんなわたしは、6月の末に既にバテていたことが、カルテから発覚した。
なんてひ弱なんだろう…昨日やっとこリタリンを使って行けた栄養指導でも、「今からバテてると、これから大変だよ」と言われる。そんなこと頭ではとっくにわかってはいても、体はついてこない。わかっていても食欲はほとんど無い。詰め込むように食べても気持ち悪いだけ。そんな自分に嫌気がさして、左手首をさくさくさく。


今日は朝から精神科。
行かねば薬が切れてとんでもないことになるというのと、連休が関係している。連休が嬉しいと思えたのも健康であった(語弊があるかもしれない)時代だけで、発病してからは、あの発作がいつ来るのか、いつか倒れてしまうのではないか、また悪夢をみてしまうのではないか…そんなとき助けてくれる医者はいるのか…どうすれば良いのか…などと、びくびくして過ごしていた。
そんな連休、楽しいはずがない。発作を恐れたわたしは、食事もままならなくなり、布団にくるまってうとうとすることを選んだ。まだ外に出ると、崩れる建物がたくさんあって危険だったこともあり、決して1人で外出するなと、わたしだけでなく、健康な人も言われたことだろう。
今では不十分ではあるが、何とか薬などで抑えられるようになった。しかしそれは、常に薬と、薬を飲める飲み物を持っていなくてはならない、ということでもあるのだ。正直、わたしは発作時に使う薬や飲み物のかさばりにうんざりしてしまっているところがあり、自分でも疲れてしまっていることが理解できる。

リスカをすると叱られるし怒られる。
昔はわたしも叱ったり怒ったり、哀しいということを伝えたりしていたが、今では何故そんなことをしていたのか、さっぱりわからない。やはりわたしは『普通』というものに遠いのだろうか、疎いのだろうか。
古い日記を読み返すと、4年前に未遂が何度もある。最近の医大のカルテには、しょっちゅう鼓膜切開をしたという記録がある。来週はおそらく3度目の切開が待ち受けているだろう。
リスカも鼓膜切開も、わたしにとってはほぼ同じ場所にあるものだと、手首とカルテを見比べて、今日、感じた。



夜、親友とメッセンジャーで話す。少し、いや、かなり気持ちが楽になった。それまでは、苦しくて寂しくてたまらなくて、1人でいるとまた手首をやってしまいそうだったのが、すーっと消えていった。やはり、友達とか学友とか、そして最後に親友ってのはすごい大事な存在だと思う。
わたしは「あなたになら命あずけても惜しくない」人しか親友にもたない。少々過激かもしれないが、いいのだ、それがわたしなのだから。