どうしてこんなに病院ってお金がかかるんだろうな…と、わたしは、精神科の請求書(月上限2万の判定)だけでもうんざりしていた。その上、保険のきかないカウンセリング、ピルなども続けねばならず、わたしが1ヶ月に必要とする医療費は、ざっと軽く3万は超えてしまう。耳鼻科と精神科と婦人科は絶対に削れない。内科にも戻りだして、何とかなるのは歯科と眼科ぐらい。お茶が好きなわたしは、虫歯が全くないのが唯一の自慢で、これまた保険のきかない矯正治療でまっすぐになった前歯は自慢できない。
敬遠していた医大だが、耳も鼻ももう限界で、治療を再開しなくてはならなくなった。久しぶりに電車に揺られ揺られ、わたしがかかる中で、唯一県外にある歯科大まで移動する。切符代だけで、ため息を何度ついたかわからない。何しろ、耳鼻科で治療を受けるは良いが、切符代のほうが片道でも高いんである。金額の心配をいつもしているわたしに対しての主治医の計らいもあるが…ちょっとコレってどうなのよ…? みたいな。


「どうしてたん」
最初の言葉がそれであっても、仕方ないくらい間があいている。本来なら週1・2回の診察や検査が必要なわたしは、鬱が悪化して眠れなかったり、薬を限界まで使って副作用でふらふらになっていたのだった。
「半分死んでましたー」
受付のおねえさんに笑われた…

わたしの耳は気まぐれで、主治医が観察したい状態をいつも保持しているわけではない。聴こえにくいから医大へ行こうとしたら、地下鉄で気圧が変わって、いきなり音が大きくなった=聴力が回復した、なんてハプニングもある。「悪いときの耳を診る」と言われても、これではどうしようもない。入院でもすれば別だが、入院が嬉しい人間はいない。わたしなんかは、ネタにまでして楽しむが、実際の入院は決して楽しくはない(当たり前だ)
わりと早く呼ばれたので、しばらく顔をみていなかったスタッフさんに挨拶してまわる(はよ診察台に座れ)。そこでわたしは「最近ほとんど聴こえなくってつらい」と、本音をもらすことになる。左耳がとらえられるギリギリの音域で生活していて、不自由を感じないはずがない。外に出れば、どこから車や自転車が来るかわからない。一歩外に出ればよそ見が絶対にできないという緊張のなかに身を毎日さらしているわけだから、ストレスもたまる。頼れる人がいるときのわたしはとても頼りなくて注意力散漫だが、普段1人でいるときにピリピリしているから、その反動が一気にきてしまうのだ。
耳と鼻の治療が済んだあとは、鼓膜切開をするかしないか、補聴器を思い切ってつけてみるかの話をした。補聴器をつけても、音が元通りに得られることは決してなく、それは音を失った人にしか、しっかりと実感できるものではなく、よって、補聴器のことをよく知らない人間によって「怠慢だ」と罵られることもある。わたしにはそんな古傷もある。
「チューブを入れて少しでも回復する見込みがあるのなら、わたしはまずそちらにかけてみたいんです」
そんなわけで、今回もまたプチオペ。


治療の方針がざっと決まったあとは、何故か雑談に近い話になる。
主治医は予約制で、わたしが入院していたことのある総合(カリエス記の病院のこと)にも診察へ出かけることがあるが、診察のたびにナースさんたちから「あれくちゃん元気にしてる?」と、しょっちゅう訊かれるそうだ。面倒をみていただいたナースさんの中には、もう辞めてしまった人もいると知って寂しくなったが、それでも覚えてもらえているのは、嬉しいことだった>っていうかこんな問題患者、忘れようにも忘れられないんじゃないか?
若主治医も元気にしているそうで、一度診察がてらつっつきに行ってみたい。
「あの先生の顔見ると、どうしてもわたし、いじめたくなるんですよねえ…」
親友を紹介したら、親友は彼を口でやりこめて、床にピンセットを投げつけさせた強者だが、わたしにはそこまでの実力はない(目が遠くを見つめるだけレベル)
若主治医、わたしの耳にガーゼを詰め込みすぎて悪化させた前科をもつが、あれから4年が経過している。ホワイトボードをちらりと見ると、1日に何度もオペが詰まっているときもあったから、腕は上がっているとみて間違いないだろう。
…どうやって襲撃しようかなあ…耳の中を定期的に見てもらわないと、また「?」に戻ってしまうし、耳のことについては主治医の次によく知っている人なので、しっかり覚えていてもらいたいのだ。




そして。
わたしは前夜、父に「パソコンもう壊れてるんなら、新しいカタログ持ってきなさい」と言われていたのをヨドバシカメラで実行にうつし、値段まで書いてもって帰ってきた。父は恐ろしいことを何も知らないのか「場所がないから、今度はノートやで」…などと言っていた。
ノートのほうがデスクトップより高いのに……