10年前は考えられもしなかったのだ。


今日この日、わたしと母は、またひとつ歳をとった。
お互いが寝ているだろう時間を過ぎると、どんどん携帯にメールが入ってくる。「おめでとう」のメールだ。二人ともまだ体調が元通りになっておらず(母は妹の風邪を拾ってこじらせ、わたしもどこからか風邪を拾っては治している)、会って騒いだりするだけの体力まではないものの、「また会ったときにプレゼントとか買いにいきたいね」とメールするぐらいの元気はある。
ケーキは、母は糖尿病、わたしはというとたいして好きではないので、ケーキまで用意するという話はしていないが…あんまり甘くない、ローカロリーのケーキを売っているお店があったら、勝手持っていこうかと思う。
日記のログや、ネットを始める前の日記、それまでに書いた文章の中に、母や父に対する感情をぶちまけたことは何度もある。憎いとか嫌いだとか、死んでくれとも書いたこともあるし「わたしに母親なんかいなかったのだと思う」とまで言わしめた記憶も消えない。印刷物も、ネットの上にあったものも、何らかのかたちで残ってしまっているし、わたしはそれを処分するつもりはないが、母に見せるつもりも、父に見せるつもりも全くない。


こんな日が来たらいいなとは思っていても、
実際にくるかどうかもわからない日々を過ごしていた。





今でも。
母のなかにも、父のなかにも、わたしのなかにも、それぞれの家族の想い出が宿り、それが消えることはない。思い出したくもないこともあるが、それもやはり消えないし、いろんなかたちで傷はよみがえり、開き、その都度にわたしたちを苦しめはするが、去年からやっと、わたしは父と母のためにプレゼントを買って、手渡すことができるようになった。


これからも。
もう死んだほうがましだと叫びたくなるような日があるかもしれない。
心が病むほど魂がちぎれるほど両親を憎んでしまうときがあるかもしれない。


それでも。
今はただ、
「産んで育ててくれてありがとう」
と言いたい。




10年前の今日を思い出す。
何も喜べなかった、緩慢な自殺という流れのなかに居た、わたしを。
10年後のわたしは、病こそ完治していなかったが……


10年前よりは、しあわせを知っている。