そのことについて、うじうじ泣くのはナンセンス。
泣くとしたら、それは振り切れない自分の弱さ、そう思うことにした。

どれだけ泣いても夜明けはくるから。
強くなるために流す涙さえ否定するのだとしたら。
わたしはいつまでも涙の海をぎりぎりまで守らねばならない。
そんなの疲れた。どだい無理。


こんなに海に涙があるなら。
かわいたこころに使ってやっても良いじゃない。
からだのなかに海があるなら。
疲れた魂のゆりかごに使っても良いじゃない。




わたしは、母にほとんどメールをしない。カリエスで入院したときも「心配かけたくないし」と黙っていたら、叔母のメールで、その沈黙は暴かれてしまったのだが>「お姉ちゃん、あれくちゃん手術して入院してるわよ!!」
そんな母とのメールも、たった3日程度で10通を超えそうだ。しかも時間がいつも睡眠薬で酩酊しているような深夜なので、「娘が相当やられてる」と、そう判断した母から「家にきなさい」メールがついに届いた。
「話を聞くくらいしかできないけど、楽になれるかも知れないわよ」とのこと。
わたしはというと、妹に涙を見られたくなくて躊躇している。そして、妹を哀しませるようなことも伝えねばならないので――母が伝えてくれるだろうけども。
…どうしてわたしは、人を哀しませてばかりなのだろう。