《紅葉オフ》ができたなら良いなあ、と思う。そう考えて、ハタと気づく。今までというもの、わたしがオフ、またはオフ会の初対面でうちとけた人々は、全員といっていいほど人見知り体質なのであった。9月の神戸メイドさんオフもそうで、10月の京都オフに至っては、司令塔以下全員人見知り体質で、自分が人見知りであると悩むよりも、どうやったら3人ともだんまりにならず進んでくれるかと、ヒヤヒヤしたものだった。
わたしは「筆談で知る人」なので、「あれは何?」「これどうする?」「どこへ行きたい?」という問いに、2人は携帯のディスプレイやらわたしの持参ノート&ペンで、親切に対応してくれた。外側から見ると、補聴器をつけていないわたしは、障害があるとわからない。2人とも、わたしが鼻声ながら喋るのを聞いて「あれ?」という顔をしていた。
「手話は?」
「習ってないから、おぼえてない。練習してるけど、使わないと忘れる」
今、キッチンにはできたばかりのカレーの鍋が置いてある。今まで耳のことを、ひとりで居るときは、あまり気にしなかった。それで、焦げ付いた鍋は数え切れないが、わたしはやがて『キッチンで本を読みながら鍋を見張る愉しみ』というものをおぼえた。
わざと洗い物を残して、横目に鍋を見つつ洗っていることもある。
もっと上手になれたら良いな、オフにはお弁当を持っていけたら良いな…


川西里沙さんという女性が居る。
わたしがその人の存在を知ったのは、確か20歳くらいの頃であったかと思う。母校の文化祭で本のフリマがあって、わたしはそこで本を求めたのだった。その本のなかに、川西さんのお母様による手記があったのだ。今でもときどき、読み返す。
自分がどう生きて良いか迷ったときに。
大病を患った川西さんの闘病記は、進行形で止まっていた。
こんなにたくさんの重い病気を患った女の子は、どうなってしまったのだろうか?
トウシューズを買ってね。バレエを習いたい」
と言った女の子は、バレエを習えたのだろうか?
答えは、今も踊り続ける彼女の姿が語っている。
「聞こえなくてもダンスはできる」と、治療を続けながら踊る姿が。