ひとりで居ないほうが良いのかもしれない、とすら思う。突然、何かに対してひどく攻撃的な気持ちになることがあるからだ。それが自宅なら、まだ救われる。好きなだけ壊せるものが、たくさんあるからだ。古い新聞紙とか、安いお皿などだが、「皿に罪はない」というわたしに「あなたにだって罪はないでしょう」…そんな言葉が返ってくるはずもないが、もし自分を傷つけたくなったり、メチャメチャになってしまいたい(文字どおりメチャメチャに)気分がどうしてもおさまらなければ、お皿を割って薬を飲んで暴れても良いそうだ。
そんなことが言えるのは、自分の家じゃないからかも…(苦笑)
これが出たのが病院とか家なら「おかしい」と思われるだけで済む。しかし、ひとりで路上を歩いているときなどは、危険きわまりないのである。

リスパダールは、わたしには合わなかった。飲むと逆に体がおかしくなり、尿が止まったりしてしまう。ろ過された頃にやっと、薬の成分などと一緒に「よくこれだけの尿が体にあったものだ」と、驚くくらいの量として出てくる。これで済んでいるうちはまだましで、膀胱がパンパンになっていることにすら気づかない……25回分のリスパダールを、わたしはゴミ出し日にまとめて廃棄しなくてはならなくなった。


平和の代償には犠牲。とは、よく言ったものである。


気分が不安定で、左手首を少し切る。
にじみ出る血が、わたしを安心させる。こうなった場合、わたしを安心させることが可能なのは『血』でしかない。今までは月に一度の採血があったから、こんなことをしなくても、自分の血管を今し方流れていた血液を見ることは、いくらでもできた。
切っていないと、傷がないと、ひどい動悸に襲われて苦しむ。そこが外であれば、もっと苦しむ。ゆえにカッターナイフをバッグに忍び込ませて、出かけることがわたしの癖になってしまった。
今年の夏はいろいろあって、わたしの神経はすり減った。しかしそんなことさえも、わたしにとってリスカさせる要素にはならず、単に「切りたかったが我慢していた」わたしに、ほんの少しのきっかけを与えたにしか過ぎないものだ。
伊達や酔狂でできる自傷行為があるというのなら、一度お目にかかりたいものだ。
それらは、言葉にできぬ悲鳴であるのだから――