何も考えないでいる時間を、増やせば良いだけだった。5分だけ『なんにも考えないでいる時間』をつくる人と、そうでない人では、あきらかに違うのだという。試しに、レルパックスがなくなる(毎日のように飲んでいるから)ので、なんにも考えずにクリニックへの道を歩いてみた。知らないあいだに考えてしまっていて、これはうまくいかない。静かな環境(光、音、色、振動を遮断)が必要らしい。
あきらめて、考えながらクリニックへ向かう。
答えの出ない問いかけだ、と誰かがいう。
しかし、その問いかけはわたしに欠けてはならないのだ。
答えは出ない、どこにもない、それでも?
「それでも」
きっぱりと振り切ると、黒い影は少しずつ透明度を増していって、やがて消えた。
必要なときもあるのだ!!
自分にしか出せない答えは、誰のものを手本や見本にしても、出てくることはない。似通った感じのものなら、いくにでも出てくる。それでも『自分の答え』は、いつも、ひとつしかないのだ――選んで失う。選ばず失う。選んで得る。選ばず得る――この4つのうちどれが「いちばん得」だとか「いちばん損」なのかは、周囲があれこれ言おうとも、やはり自分が最後に決める。

わたしは選ばずして失い、選んで失った。
損をしているだろう。
得たものは、何もない。
この痛みのほかには。
そして、その痛みには、鎮痛剤など存在しないのだった。
いちばん消したい痛み。いちばん消えてはならぬ痛み。しばらく続くだろう、この鈍い痛みは、わたしをひどく懐かしくて哀しい思いにさせる。失ったものは、もう戻らない。だから。