平穏な生活とは、どのようなものであろうか。普通に普通のことができて、普通にこなせることだろうか。普通なんて十把一からげな表現だが、人の数だけ、こころの数だけ『普通』は存在する。
掃除と洗濯と料理と買い物ができれば、それがわたしの『平穏』だ。
時間がなくて、買い物をさぼるが、昨日まとめて買っておいて良かった…(冷汗)

クリニックで「薬が効かない」ということについて話し合っていて、そのために時間を予想上に喰ってしまった。ルジオミールアナフラニールより効かず、ルジオミール25がアナフラニール25となる。リーマス200も打ち切り、デパケン400にする。32条が冬に切れるということで、診断書のお金と印鑑を持ってこねばならない。
これが効かなかったなら、またわたしは、手首を切るだろうか。切りたくない。切ってたまるか。たとえ薬が効くのに時間がかかっても、合う薬が見つかるまで時間がかかっても、わたしの意地で、無傷の手首を守り通してやる。
病気なんかに負けたくない。そして約束を守りたい。それだけだ。
10日以上わたしをとらえた破壊衝動は、ついにわたしの手首を切った。コンビニで買った貝印のカッターナイフで、わたしは左手首に傷を入れた。情けない。もう、先月からわたしは奇異な行動にはしっていて、夜になるとしきりに刃物を探していた。カミソリが無いからカッターを探して、無いから包丁を取れば刃が鈍すぎ、もともと血管が出にくいので切ることができない。
PCのデスクに結んであるリボンで上腕を採血のときのように縛って、縫い針を刺したこともあった。注射針と違って、血はあまり出ない。
飲み物を買うコンビニの袋が腕に食い込んだとき、血管が浮き上がるのを知ったわたしは、人通りのない場所で手首を切った。
こんなんじゃ「もう切らないでくれるか」という権利なんて、わたしには無い…
昔、苛ついたあてつけに、カミソリを手首に当てて「切ってやる!!」と、わめいたことがある。つくづくみっともないが、あのときとは全く違う衝動がわたしを突き動かして、わたしはそれに勝てなかった。つまり負けた。負けるほど弱かった。
負けてしまった、自分がたまらなく悔しい。
傷は浅かったので、主治医の表情には「やりましたか…」としか書かれてはいなかったが、わたしは主治医にも、同じ病気の友達にも「わたしの傷は、生きるためにつけた手術のものだけで良いんです」と伝えていたから、なおさら自分が情けない。
縫い針を突き刺すといった人は少ないのか「刺したらどうなりました?」とも言われる。
正直に「血が出ないですよ」とだけ返す。そんなわたしは、ルジオミールの副作用をやり過ごしたが「貴女は、アナフラニールを飲んでいた頃より、とても哀しそうに見えます」…つまり、効かなかった。5ミリ単位で増えていくアナフラニールは、わたしを焦らせた。効かない、増える、効かない……ルジオミールに変えてもらったのは、あきらかにわたしのわがままなので、わたしはこの主治医を前にして、泣き言をいうような資格は持ち合わせてはいなかった。それでも、言葉を忘れてしまったようなわたしに、筆談と首振りだけで診察を進めさせていた『何か』は、
「消えたい」
死にたい、ではなく、消えたい、とだけ言った。死にたくはない。消えたいだけだ。何もかも残さず、消えてしまいたいだけだ。特にこれといった変化がなくとも、わたしは消えたいと言ったろう。消えたいと言わしめる何かが何なのか、わたしにはまた理解できず、その何かを昇華もできず達観もできない自分を、さらに憎んで追い詰める。

離人が長過ぎて、もう、写真を見てもそれとはわからない(こんなことをしたのか、これは誰だ、とか思うだけ。自分の記憶がとても淡い)。目の前に父親が居ても「何て呼ぶ人だったか」としばらく考えてから「おとうさん」という単語が浮かんで「おとうさん」と呼ぶ。父は無論、その呼びかけに反応する。だがわたしは「…おとうさんって、何だっけ…」そこで思考が止まってしまう。父に限らず、周囲が全てそうなって、わたしは友達の名前を呼ぶことがあまりできなくなった。また、自分の名前も理解しがたいものとなり、「あれく」というのが誰であったか、ということを考えてしまう。そこでもまた、思考が止まる。
だけど、料理をしているときは、自分が誰だかどうでも良くなる。ただ、美味しく作ることができて、それを食べてくれる人(かなり悲劇かもしんない)も居て、「美味しい!!」と言ってくれたり「これはからいかも」「ちょっとしょっぱいよ」と言ってもらえる。
それは、とてもしあわせなことで、嬉しいことであり、
その瞬間に、わたしは病気のことは何もかも忘れられる。
昨日のきんぴらごぼうには、少しトウガラシを入れすぎて、今日の肉じゃがは、何かしょっぱいが。明日のぷりの照焼きと、すましじると、だしまきたまごこそは、美味しく仕上げてみせるのだ。


刹那的には、生きられない。
なぜなら人生のスパンは長い。
だから、わたしは考えることをやめられない。
人生をより良いものとしたい、欲張りだから。
過ぎた欲は、人を滅ぼし、世界を荒廃させるが、ある程度の欲望は、生きることそのものには欠かせないものである。
「超能力ちゅうのは、生への執着みたいなもんですわ」――《ぼくの地球を守って