こんなに打たれ弱かったかな、とか。本来の自分というものが、自分で把握できていないという感が強く、なおかつそんな見解は正しくて、本当はすぐそばにあるものをよく見ようとして、ずっと望遠鏡で遠くを探しているのかもしれない。

怒りをぶつける相手が違うだろうに、ということに気づいたのは、先月のことだ。
母が『わけあり』で、妹の友達を夏休みが始まるまで、あずかっていて体調を崩した。そんなところにわたしが行くと母の疲れが倍増しになるし、かといってことわると、今度は妹がひどく哀しむ。
ぜいたくなことに、わたしは妹にとても好いていてもらっている。
「だからね…あれくが来ることも言ってないの」
妹が落ち込むので、メールしたことは黙っていてくれ、というのだ。大阪へ行くだけの時間と体力と気力がありそうだということを、そして、わたしがそのために準備していることすらも。
ここでわたしが黙っていれば、誰も哀しまない。少なくともわたし以外は。
「人んちの親をなんだと思ってるんだろう」
もう看護職を辞し、専業主婦になったとはいえ、母は病人で、育ち盛りの子供の面倒をふたりも見られるような具合ではない。ましてや、片方はよその子供だ。何か間違いがあってはいけないと、かなり張り詰めていた。さいわい夏休みにはつつがなく突入したわけだが、そのツケはわたしにやってきた。
「会えない。ごめんね」
人んちの親を何だと思ってんだ。
怒り狂ったわたしは、彼氏に洗いざらいぶちまけた。
しかしこの場合、怒りをぶつけるべき相手はあきらかに彼氏ではなく、自分はどうでもなると、人に優しすぎる母と、そんな母がことわれないと知っていた、相手の親だ。わかっていても、寝込んだ母にキツいことは言えない。
妹に言おうものなら、間違いなくあの子はとても傷つく。そして泣く。
かといって、妹の父にも言えない――優しい人なのだ。やはり傷つく――
でも、わたしだって傷ついた!

この母は、よその子の面倒をみても、わたしのことは…
もうひとりの、わたしをつくる、つもりなのか?

理解している。傷ついたからといって、他人を傷つけていいという法はありゃしないことも、こんなことで傷つくわたしは、たまらなくガキくさいということ、そんなことは重々理解してはいても…それでも、つらいのだ。
理解していても。
痛みが消えるわけじゃない。


こういうことは、伏せておいてもかまわないものだ。むしろそうすれば、波風はたたない。それなら――わたしの怒りは、どこへいくのだろうか。利己的で、ガキっぽい怒りだ。それでもちゃんとした理由ある感情だ。
「頭で光がはじけるっていうけど、貴女の抑圧された怒りかもしれないね。それは」
主治医は、そう言う。貴女はいつも何か怒っているみたいだよと。
「漫画みたいな表現ですよねえ…」
わたしは、主治医を笑わせて『ベタフラ』を想像した。
あれが怒りなのだとしたら、わたしは相当怒っていることになる。